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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

『植物の生殖器・花』写真展のこと
 この原稿を書いているのは7月末、富士フォトサロンで写真展を開いている最中である。

 雑誌サライが2ページ写真5枚をつかって写真展を紹介してくれた。この記事の取材でサライ編集部の、女性記者と編集デスクのかたがわざわざ小生宅まで来ました。デスクのNさんは、編集職なのに写真が好きで、プロカメラマンの真似をするのが趣味だとだといわれる。大変写真に詳しい。

 お二人とも私の年齢を聞いて驚かれていた。自分ではそんなに年は取っているつもりはないのだが、いま現役の記者、編集者のかたにとっては、とてつもなく高年齢に思われるようだ。

 花の接写について話をしているうちに、昭和三十年代はじめのころカラーフィルム(エクタクローム)を撮影取材先から社にもどって現像をしなければならなかったこと、リバーサルフィルムだから現像の途中で反転露光をしたなどと話などすると、いまそんなことを体験している人は少ないのではないかと、びっくりされる。

 写真展の花の写真のことはさておいて、話は50年以上前の写真のことに集中してしまった。自分ではついこの間のことのように思っているが、想像もつかない昔の話のようにとられて、改めて自分の年を感じさせられることになった。

 プロ写真家ではあまり聞かないが、私の周辺、そうして知り合いのアマチュアカメラマンには、私が驚くような高齢で写真を撮り続けている人たちがたくさんいる。藤沢湘南台のクラブでは毎月の月例会に40人近くの人が集まるのだが、先月、自由作品1位は90才を過ぎたかたのモノクロ作品だった。

 飯能写真展という催しが埼玉県飯能市で毎年あって、数年つづけて審査を引き受けているが、昨年上位に入賞した作品、これは飯能の山から東京隅田川の花火を撮影した写真で、素晴らしい作品だった。表彰式のときこの作者が90才を過ぎている人だったのにはおどろいた。

 この写真家は何百ミリかの望遠レンズをかついで、いまだに山野をとび回って撮影されているそうである。

 東京のあるアマチュア写真クラブの会長さんは、毎月の月例会に必ず上位に入賞するのだが、作品は自分でPCをつかってプリントアウトされている。この人も90才だ。80才半ばを過ぎてから、独学でデジタル写真をはじめられた。年齢を感じさせないバイタリティがある。

 こんな人たちが私の周囲にはたくさんいる。共通しているのはご自分が年を取っているとそぶりにもみせないことだ。

 いつも考えさせられるのだが、元気だから若い人たちと一緒に写真をとっているのか、写真を撮っているから元気なのだろうかということだ。

 これは写真を撮っているから元気だというほうに旗を上げたくなってしまう。この理由として写真は身体を動かすからとか、いろいろ言われるが、どうも写真を撮るときの夢中になる緊張感が脳の回転をうながし生命力を維持させているように思う。

 シャッターを押すときの何から何まで忘れてしまう張りつめた気持ちは、ほかでは得られない。

 いままで人に言ったことはないのだが、自分のことを言うと、浮世絵師葛飾北斎が富嶽三十六景を書き始めたのが七十才を過ぎてからだという記憶があった。とくに『凱風快晴』を描いたのは七十三才という記録に励まされて写真を撮り続けているところがある。

 しかし私の周囲にいる私より年齢の上の諸先輩たちは、北斎が70才になって富士を描きはじめたとか、89才で亡くなるまで描き続けたと言うようなことは考えていない。年齢では北斎を超えて矍鑠としているからだろう。

 年齢のことを書いているうちに締め切りの日が来てしまった。今月は締め切り日が写真展の期間に重なってしまって、写真展中でも原稿は書けると思っていたのだが、意外に時間を拘束されてしまって、どうにも時間がなくなってしまった。写真展で展示した写真をのせることにします。