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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

植物の生殖器・花・メシベオシベ
 今月、7月の25日から31日まで、上記のタイトルで銀座。富士フォトサロンで写真展を開きます。写真展の案内を差し上げたら、随分エゲツないタイトルですね、とか富士がよくこの題名をOKしましたねなどと、こちらが考えてもいないことで反響があるのに驚いている。

 なかにはもっと徹底して、植物のポルノグラフィとタイトルをつけたほうが受けたのになどと言ってくる友人がいる。

 こちらは上品とか下品とか、受けをねらったとか、そんなことで題名を決めたのではなく、ごく一般の用語として決めたことなので当惑してしまう。 題名に首を傾げられる方はだいたい60才以上の方だ。

 先日、このことを私の家に集まってくる写真のグループのメンバーに話していたら(このグループは20代後半、30才代の人たちだ)、先生、私たちは小学校の4、5年のときに性教育をうけました。性教育の最初に小学校の先生から聞いた話は花のメシベ、オシベでしたから、何の違和感も感じません。多分性教育を受けていない性という言葉はタブーみたいな世代の人が抵抗を感じるのではないですか。と言っていた。多分そんなことなのかも知れない。

 「植物の生殖器としての花」を撮り始めて半年ほどして、アサヒカメラ2002年2月号に写真を掲載してもらった。この撮影の経緯を連載の68回に書きましたから。興味のある方はバックナンバーをご覧になってください。

 前に話したことと重複するところがあるかも知れないが、生殖器としての花をなんとか表現してみたいというのが、この撮影のはじまりだった。ここに到達するのには『花』とはなんだろう。人間にとってはきれいなもの、美しいものとしてしか、とらえられていない花の色彩、形状、匂いなどのすべてが、じつは種族繁栄のためににそなわったものであることに気がつく。

 植物が好きで花を観賞することが趣味であった。30年ほど前から花の図鑑を楽しむことからはじまって、植物に関する本に興味がむかい手当たり次第に読んだ。牧野植物図鑑は父が「いけばな」の流派の家元であったから、いけばな、華道関係の図書と一緒に自宅に本棚にならんでいた。

 植物図鑑からはじまって牧野富太郎フアンになり、牧野富太郎の啓蒙随筆集を古書店で買い求めた。牧野『植物知識』は昭和50年代に刊行された講談社学術文庫ではじめて読んだ。

 この本の序文に「花は率直にいえば生殖器である」「蘭学者宇田川榕庵先生は彼の著『植物啓源』に花は動物の陰処のごとし、生産蕃息のとりてはじまる所成りと書いておられる。すなわち花は誠に美麗で、かつ趣味に富んだ生殖器であって、動物の醜い生殖器とは雲泥の差がありとても比べものにならない。見たところ醜悪なところは一点もこれなく、まったく美点に充ち満ちている」と書いてある。

 これを読み大変に啓発され、生殖器としての花を撮りたいと考えるようになった。花の写真をどれだけ撮ったろう。この模索のなかで花の核心であるメシベ、オシベに接近することで、この表現に近づけるのではと思った。

 問題は撮影の方法である。いろいろなレンズを試してみた。オリンパスの接写用レンズが現在の一般カメラでは拡大率が高いというので試させてもらったり、顕微鏡も種々試した。或る研究所に電子顕微鏡を見せてもらいに行ったのもこの時期であった。

 あまり拡大率の高くない立体顕微鏡の映像が、表現を試みようとしている映像に近かった。3年ほどまえに立体顕微鏡を買った。実際にこの顕微鏡で小さな花をのぞいてみると大変に面白い。

 アタッチメントを買ってニコンのF4のボディを取り付け撮影を始めてみると、フィルムに写った映像はピントが浅くとても写真にならなかった。

 立体顕微鏡というのは両眼で見る。この映像は大変にシャープでしかも立体感がある。しかし写真にしてみるとのぞいたときの画像とは似てもにつかないものになってしまう。

 理由は単眼で見るのと両眼を使ってみるのとの違いだ。もう一つの理由はピントが浅いことだ。写真の用語で言えば被写界深度が浅いのだ。顕微鏡のレンズには絞りはついていない。だから顕微鏡写真では観察用のプレパラートはガラス板に挟んである。焦点が合う部分は非常に狭いからガラスに挟まざるを得ないのだ。

 拡大率が高ければ高いほど、被写界深度は浅くなる。しかし倍率を下げたからといって、顕微鏡用レンズを使っての被写界深度の浅さはどうにもならない。

 このレンズに絞りを付けたならばどうなるだろう。絞りを付けて撮ってみた。さらに絞りをピンホールにすることでかなりの拡大率の撮影でもフィルム上の画面は焦点が合って見えるのではないだろうか。

 絞りを小さくすれば当然のことだが露出時間は長くなる。レンズもカメラボディもしっかりと取り付け動かないように固定するのだが、20秒30秒の露出時間をかけると考えつかないほどブレる。

 ブレを目だたなくするために、ストロボ(スピード)ライトを使わざるを得なかった。このライテングがむずかしかった。

 撮影を始めたときはリバーサルカラーフィルムを使用していた。いくら絞りを使用しても、被写界深度は浅い。1本36枚を撮影して、現像してみるとちょうどよい場所にピントが合ったいる写真は1本に2、3枚程度だった。

 理由はファインダーをのぞいてもピンホールのためにファインダーは暗く画像がはっきり見えないからだ。

 試行錯誤の上到達したのは、デジタルカメラを使いカメラとPCを直結して、モニター上に写した画像をすぐ見ることが出来るようにすることであった。

 写したメシベ・オシベの画像は画面の長辺でほとんどが1cm以下のものだ中には5mm以下のものもある。

 こうして写した写真を見ると、性と言う言葉から受ける凄艶とか妖艶のイメージを出せたかというとまだなかなか到達すること出来ない。艶の表現がむずかしい。妖艶の妖つまり花の持つ妖しさの部分で少し表現できたように思う。

 撮影した花は200種ほど、写真展では40点を選んで展示することになった。

 写真展は銀座富士フォトサロンで7月25日から30日まで開催 。時間は10時から20時までです。どうぞご覧ください。