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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

現像液
 4月のこの連載では、カメラのことではなく秋山庄太郎さんのことを書いた。今月からまたカメラや機材のことを書こうと思う。

 一般に写真家という人たちはプロ、アマをとわずカメラやレンズ、フィルムなどのメカニズムに対する関心が高い。写真はカメラがなければ写せない。道具であるカメラに関心を持つのは当然のことかも知れないが、写真よりは道具にだけに興味がいってしまう人もいる。

 なかには自分は写真家ではなくて写真機家だと称する人もいるくらい異常にカメラにこだわり、カメラを愛する人たちもいる。

 また秋山庄太郎さんのことに話が行ってしまうが、秋山さんはカメラに対する関心はあまりなっかったのではないかと思われる。お弟子さんであった藤井秀樹さんによると秋山さんは機械音痴というか、カメラ音痴みたいなところがあったそうである。

 写真用スタジオがタングステンライトの照明からストロボ照明に替わった時代があった。藤井さんの思い出話によると、秋山さんはスタジオ撮影で、この新しい機材になかなか慣れることができず、露出を間違ったり大分手こずっていたそうだ。

 だから20世紀末、写真界がデジタル写真に大あわててで対応しようとしたときにも泰然としていて、その是非について可否を口にされることがなかった。何の会合だったかデジタル写真とデジタルカメラに話がおよんだら、秋山さんは自分は新しいものには飛びつかない主義でね。とだけいわれた。

 秋山さんはデジタルに関しては、ちょっと新しいフィルムが出た位の変化にしか感じられていなかったと思う。最近になって私などもデジタルへの変化を冷静に観察し、考えてみると、ほんのわずかな変わりようだくらいの認識でも、それほど間違っているとはおもえないところもあるから、秋山さんのデジタル写真への対応も一見識といえるのだろう。

 私などはあたらしものが好きで、なんでもすぐ飛びつき、随分無駄な投資をし時間を浪費し続けてきたから、秋山さんから見たら阿呆だと思われていたかも知れない。でも私の周りを眺めてみると同じようなことをやっている写真家、カメラマンが溢れているからそう特殊とは言えないだろう。

 機材といっても現像液のことを書く。

 D76といっても多分ほとんどの人が何のことかわからないだろうと思うが、ご自分でモノクロ写真の現像、引き伸ばし、いわゆるDPEをやったことのある人はたいていD76現像液のお世話になっているはずだからおわかりだろう。モノクロフィルムの現像液のことである。

 この現像液は戦前から使われていた処方で、モノクロフィルム現像液では定番現像液である。写真学校でもいまだにこの処方が使われているから、単に定番というよりもいかに性能がよく安定していたということだろう。

 D76のDはコダックの処方の意味である。私が朝日新聞に入ったとき、出版写真部も新聞写真部もこのフィルム現像液をメインに使っていた。この現像液は主薬がメトールとハイドロキノンそれに亜硫酸ソーダである。

 昭和30年代初めのことだ。木村伊兵衛さんはコダックのマイクロドール現像液を使っていた。アサヒカメラの編集部で木村さんと雑談していて、フィルム現像液のことにおよんだら出版写真部も76をやめてマイクロドールにしたほうが35ミリフィルムにはいいよ、といわれたことがある。

 そのころ週初めの出版写真部部会のとき、デスクだった大束元さんが英国のイルフォードで新しい現像主薬が発表になった。この現像液は増感も簡単だし、液の寿命が永いといわれている。まだ国内ではどこも使っていないが、試してみる必要があるようだ。と言われた。

 私は写真学校を出ているわけではなかったので写真化学のことは全くと言っても良いくらい疎かった。それで必要に迫られて仕事の合間に化学の勉強をはじめていた。このとき話題になった現像液に興味を示したら、大束さんが薬を手に入れるから、おまえさんテストしてみろといわれた。

 これが新しいものに飛びついた一番最初だったと思う。フェニドンというイルフォードの薬品を手に入れ、イルフォードが発表したID62やらID69やら、いろいろな処方を実験した。実験と言っても同じ条件で撮影した何本かのフィルムを現像液を変えて現像して、あと写真を半切の大きさに引き伸ばして肉眼で比較してみるだけという単純なことだったが、これが結構面白かった。

 このフェニドン・ハイドロキノン現像液はしばらくすると写真雑誌にも紹介されるようになったし、調合された現像薬も発売されるようになった。この主薬はかぶりが出るのでイルフォードの調合ではかぶり防止薬としてベンゾトリアゾールというかぶり防止剤を入れなければならなかった。この薬が大変な貴重薬で注文を出したら、物品を購入する部署の資材部からこんな高価な薬を何に使うのかと問い合わせてきたことがあった。

 この現像液は実験を初めてみると、いい面もたしかにあったが、結局、粒状性の点でD76に劣っていた。増感性は優れていたのでスポーツ撮影ではやたらと使った記憶がある。とにかくはじめのうちはは面白がってこの現像液を使って、効用を吹聴して回ったのだが、この現像液で現像したフィルムは大きく引き伸ばしをすると粒子が目立ちこれがきたなかった。

 1年ほど経つと写真部の先輩たちは誰も使わなくなってしまった。私がテストしたものだから、吉江君のあの現像液は駄目だねと、私が悪いみたいに、あとあと言われた。

 こんなことがあって、しばらくするとフェニドンとメトールの両方を主薬にしたPMQ現像液が一般につかわれるようになったし、印画紙用の現像液には当たり前に使用されるようになった。

 この現像液のことを振り返ってみると、秋山さんが新しいものには飛びつかないと言われたのが正解で。私などはすぐ飛びついて損をする代表のようなものだったかも知れない。この実験をして5年くらい経つと市販でPMQ現像液つまりメトールにプラスしてフェニドンを調合したものが発売された。これなど使ってみると粒状性の悪くなる欠点など随分改良されていた。

 現在写真学校では富士フィルムの白黒フィルムを現像するときは富士の調合現像液を使っている。この現像液はフェニドン、ハイドロキノン現像液だ。これはどういう処方かわからないが大変に調子が良い。かってテストしたころの粒状性の悪さという欠点は補われているようである。

 こんなことが何度もあって、いままでにモノクロフィルム現像液は随分いろいろなものが発表されたり、発売されたがもう60年以上経っているのにいまだにD76現像液が使われている。すごい現像液だと思う。

 今年も写真学校に1年生が入ってきた写真学校では、例年通りモノクロ写真から勉強する。2003年になって、いまさら白黒写真でもあるまいという人もいるが、写真がわかるのには、白黒写真からはじめるのが一番だ。

 はじめてモノクロ写真をやる人は、はじめはなんでこんな古めかしいことをやるのかと懐疑的だが、実際にモノクロ写真をはじめると、写真が光画だということがよくわかると言うし、暗室作業なども今の一般生活では味わえないところがあって面白い。不思議な魅力があるようだ。

写真説明
写真は1958年昭和33年日教組の勤務評定反対闘争での先生方のデモ行進。デモ隊に出会った下校の中学生たちが「あら先生よ」と声援していた。このころフェニドン現像液を使ったいたようで、いま写真を見ると粒子の粗さに驚いてしまう。