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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

失敗させる話3
 あのときは、たしかニコンFに800ミリレンズを付けていた。ニコンFにはモータードライブがセットされていた。オランダのベアトリック女王が王女時代に来日されたことがある。昭和30年代のことだったと思う。この取材で羽田空港に行った。

 空港取材では、到着した飛行機のタラップ付近は各社1名しか入れない取材制限あったが、この取材場所以外に空港ロビーの屋上から望遠レンズで撮影するのが通例になっていた。この屋上の方での撮影は空港事務所で取材腕章をかりに行けばよく、人数の制限はほとんどなかった。

 成田はまだ開港していない時代のことである。海外からの国賓をはじめ芸能関係のスターたちの来日があってよく羽田に行った。何番スポットか忘れたが、テレビ各社もここから撮影していたから屋上には多いときには30台くらいのカメラがならんだ。

 かなり広い場所だったから、場所がなくて取材できなくなるようなことはなかったが、到着時間の1時間以上前には、各社が詰めかけて到着を待っていた。三脚の上に望遠レンズをつけたカメラをセットしてしまうと、あとはのんびりと雑談して待っことが多かった。こんな機会にほかの新聞、雑誌のカメラマンと知り合いになった。

 ベアトリック王女来日のときは、週刊朝日の注文があって、アップの写真を撮るために800ミリの望遠を持っていった。モータードライブをつけたのは望遠レンズをつけたときは巻き上げレバーをつかっていては表情の変化を追い切れないという理由が一つ。

 巻き上げレバーを使いながらシャッターボタンを押すとブレやすくなるため、望遠ではモータードライブは当たり前になっていた。連続撮影はしなかった。私のいた出版写真部では、共用の望遠レンズにはモーター付のニコンFをセットにして置いてあった。

 この取材場所では報道関係者だけで、一般の観客などは入ってこなかったから、カメラマンは三脚とカメラをセットしてしまうと、到着まで時間がある場合は、とくにお隣さんに断りなしでトイレに行ったり、コーヒーを飲みに行ったりで、カメラから離れることもできた。

 三、四人、横に朝日の新聞の写真部員がカメラをセットした。同年輩で親しかったから、彼に声をかけてトイレに行った。カメラのそばを離れたのはそのときだけである。

 やがて搭乗機が到着する。滑走路からスポットむけて搭乗機が近づいてくる。停止地点に止まった。念のためと思って操縦席の窓から掲げられたオランダ国旗を撮影しようとしてシャッタボタンを押した。動かない。さっき36枚撮りのフィルムを入れたばかりである。瞬間、頭をかすめたのは電池がなくなったのではということだった。

 あわててカメラを操作するが動かない。やっと気がついてフィルムのコマ数の表示を見ると、36枚全部が撮影済みなっている。巻き戻しを始める。ニコンFのモータードライブは巻き戻しは手巻きであった。猛烈なスピードで巻き戻しながら搭乗機のほうを見るとすでにドアを開けられている。

 フィルムを装填する、慌ててやるとパーフォレーションが引っかからず空回りして1枚も写らないことになる。落ち着け、落ち着け、と思いながら、セットし終わり、ファインダーをのぞくと王女がドアのほうに歩かれタラップに踏み出すところであった。

 1本のフィルム取り終わって王女は空港ロビーに入られた。撮影を終わって汗が噴き出してきた。しばらく動悸が止まらなかった。

 羽田からの車の中で、何故あんなことが起きたのだろうと考えた。自然にカメラが動き出すことはない。だれかがカメラに手をふれない限りシャッターは落ちない。今手元にないからうろ覚えの所もあるが、ニコンFのモータードライブは底部モーター部分の背面に小さなシャッターボタンがついていて、これを押すと連続してシャッターが切れた。

 トイレに行ったわずかな時間に誰かが、シャッターを落としたのだ。あの場所にいた誰かがだ。イタズラ好きの小悪魔が居たのだ。彼は私が慌てるのを見て喜んでいたのだろう。これは誰にも言ううまいと思った。騒ぎ立てれば喜ぶだけだ。

 社に帰ってしばらくすると、フィルムの現像が上がってきた。いい写真が撮れていた。その日の夜、締め切りの原稿を入稿して一段落したとき、デスクにこの話をしてしまった。

 デスクは最近その手の被害は大分あるそうだといった。その後、猛烈に怒られた。カメラのそばを離れる馬鹿がいるか。仕事に少しばかり慣れたからといって、たるんでいるからそういうことにつけ込まれる。イタズラされる方が悪い。気持ちを入れ替えろ、と言われた。確かにそうだ。

カメラマンはカメラをセットしたらカメラから離れてはいけないのだ。

 このイタズラは悪意だけでなく、他社のカメラマンがセットしたカメラやレンズが新しいとき、ファインダーをのぞいたりカメラをさわらせてもらうことがある。うっかりしてシャッターボタンにさわって、シャッターが落ちた。あるいはそんな偶然の出来事だったのかもしれない。

 三脚上にカメラ、とくに望遠レンズつきのカメラをセットしたときは、カメラマンはカメラから目を離してはいけない。というよりはカメラから手を離してはいけない。突風に煽られてカメラが倒れることがある。そばを通る人が脚を引っかけて三脚を倒すこともある。

 夏の甲子園大会で雑誌社のカメラマンだが、レンズメーカーから高価な望遠レンズを借りて撮影していた。スタンドを通行中の見物客が倒れたのか、脚をひっかけたのか三脚が倒れ望遠レンズが大音響をたててスタンドの階段を転げ落ちた。

 直径20センチもあるレンズが割れてしまい。このカメラマンは真っ青になった。口径の大きい明るいレンズで百数十万円のレンズであった。後で、メーカーが保険をかけていたので弁償をせずにすんだと聞いたが、これは三脚のセットの仕方が悪かった。あるいは三脚が大型レンズの重量に合っていなかったなど原因はいろいろあるが、このときこのカメラマンはカメラからはなれていた。

 カメラマンの不注意が原因である。