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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

写真失敗話・失敗する話失敗させる話
 7月終わりのことだが、文藝春秋写真部にいた石井正彦君の『気づきの写真術』文春新書の出版記念パーティがあって赤坂まででかけた。久しぶりに雑誌協会の写真仲間たちと会い歓談、楽しかった。話しているうちに、誰かが言い出して、昔あったカメラマンのイタズラの話が出た。

 イタズラといっても、どのくらい悪意があってやったことなのか、難しいところなのだが、結果的にほかのカメラマンの撮影を失敗させることになる。失敗させることで得ることは競争に勝つと言うことだろうが、どうも生来悪戯好きの人間がやったようにも思われる。イタズラで失敗させることは、正々堂々真っ向かうから腕を競うのでなく、いわば邪道だ。いまはそんな馬鹿げたことはほとんど起きないだろう。そんなつまらないことをを考えるよりも、いかによい写真を撮るか努力するはずだ。

 4、50年前には、そういうことがたびたび起こったのである。取材の現場でカメラにイタズラされたことはあるが、実際に出会うことよりは先輩たちから折りにふれて実例を聞くことの方が多かった。こういう話というのは今考えてみると、話がかなり面白く脚色されていたように思う。

 イタズラ失敗話は昭和20年代から30年前半までに多かった。取材の現場にカメラマンが集まっていて、何かを待っているようなときに起こった。当時は新聞社のカメラマンのが使用していたカメラは圧倒的にスピグラが多かった。だからスピグラでの話が多い。

 スピグラはアメリカ、グラフレックス社製のプレスカメラ、スピード・グラフィックの通称、スピグラの正式名は『The 4×5 Speed Graphic』で、名前に定冠詞『THE』がついているカメラと言われた。戦後占領軍の報道カメラマンやアメリカの通信社の写真部員が使用しているのをみて、日本の新聞カメラマンも使用するようになった。ボディは木製、大きなフラッシュ・ガンが特徴であった。

 1954年、私が朝日に入社した年、スピグラの価格は約30万円であった。大学卒の官公庁初任給が1万円以下であったから、ほぼ3年分の月給にあたった。そんな高価なカメラを日本の新聞社が揃えたのは、大変に優れた性能をもったカメラであったからだ。

 スピグラへのイタズラで一番多かったのが、撮影用レンズにツバをつけるというやつだ。これをやられると写した写真はボケボケか軟焦点になる。ツバの付け方によってはまるでピントが合っていない写真になってしまう。

 スピグラのレンズはF4.7の127ミリか135ミリだから口径は3センチほどである。撮影のたびに大きなカメラの前面からレンズを一々のぞき込むことはしないからツバをつけられても気がつかない。

 もっと悪質になるとチューインガムをレンズ前面にひっつけるなんて言うこともあったらしい。スピグラにはレンズフードを付けて使っていたからレンズ正面から見ない限り、レンズにそんあものがついているなど、とてもわからない。これはもうレンズキャップを付けたまま写真を撮るようなものだ。

 おなじスピグラの話だが、フォーカルシャッターを落とされてしまうというのがあった。多分、意味がおわかりにならないと思うので説明すると、スピードグラフィックには最新鋭プレスカメラとして、いろいろな機構が盛りだくさんに付けられていた。

 その機能の一つが、二つのシャッターである。コンパータイプのレンズ・シャッターとフォ−カルプレーン・シャッターの両方がついていた。フォーカルプレーンシャッターを使うと1000分の1秒が切れた。フィルム面のすぐ前に大きな布幕のシャッターが組み込まれていて、シャッター幕は縦に走った。

 スピグラと同じ外観、機能を持っていてフォーカルブレーンシャッターだけが省略されあたクラウングラフィックと言うカメラもあった。価格が大分安いものだからクラウングラフィックを買い入れた新聞社もあったが、何だクラウンかと2流品扱いを受けるところがあってカメラマンからは敬遠された。

 フォーカルシャッターを使うときはレンズシャッターは、バルブ、つまり開けっ放しにして使う。レンズシャッターが閉まっていては写真は写らない。逆にレンズシャッターを使用するときはフォーカルプレーンシャッターが締まっていては写真は写らないからフォーカルブレーンシャッターはバルブにしておく。

 バルブというのは写真用語としてはシャッターボタンを押している間シャッターが開いていることだから、厳密な意味ではこの場合バルブとは言わないのかも知れない。フォーカルブレーンシャッターを切ることで幕は閉まってしまうからもう一度幕を巻き上げる操作によるシャッター開けっ放し機構だ。

 新聞社のカメラマンは通常スピグラを使用するときはレンズシャッターを使っていた。これはフラッシュバルブを使用して撮影することが多かったからだ、フラッシュを同調発光させるためにはレンズシャッターの方が都合が良かったからである。

 事件の取材などでは当然、レンズシャッターをつかう。このときフォーカルブレーンシャッターが閉まっていたらどうなるか。誰かがイタズラしてフォーカルプレーン幕を落としておいたら写真は写らない。

 このイタズラを経験したことがある。私は新聞社のカメラマンであったけれど、新聞のカメラマンではなかった。雑誌の仕事では主に小型カメラを使って取材していたが、事件取材でフラッシュが必用なときはスピグラをつかうことが多かった。ニュース、事件取材ではスピグラを持っていった。フラッシュを使うカメラではなんと言ってもスピグラのシンクロ・フラッシュが一番で信頼度が高かったからである。

 たしか昭和30年か31年だったと思うが、小学生誘拐事件が起きた。犯人逮捕の動きがあるということで 澁谷警察署で3日くらい張り込みをしていた。警察の受付付近で各社のカメラマンがたむろしている。受付や1階の交通係や少年係の机の上にカメラを置いて待っていた。

 何か情報が入るとカメラマンたちは取調室の廊下の方向にカメラを向けた。参考人が取調室から出るという情報が入った。この時カメラを構えながらフォーカルシャッターの目盛りに目を向けるとフォーカルブレーンシャッターが下りているのに気がついた。そのまま写真を撮っていたら写っていない。

 スピグラを机の上に置いたままトイレに行ったわずかな時間のことである。その間にだれかがやったのだろう。カメラをそんなところに置きっぱなしにしてトイレに行く方が悪いと言われれば確かにその通りで言い訳は効かないが、カメラをおいていくということでそこで場所取りをしていますよというカメラマン仲間での暗黙の了解があったからだ。

 入社してはじめてスピグラを使うように言われてカメラを渡されたとき、先輩が使い方を教えてくれたが、そのとき、しばしば起こりうることとしてレンズのツバとフォーカルのイタズラのことは随分注意された。この手のイタズラが流行っていたのだろう。

 このときはフォーカルの目盛りに何となく目がいったからいいが、気がつかなければ写真は写っていない。あれは善意に解釈すれば各社のベテランカメラマンの新入りのカメラマンに対する一種の教育であったのかも知れない。入社して1年経っていなかったころのことだ。

 スピグラでのイタズラ体験はこのときの一度だけであったが、スピグラに関しては、随分とイタズラの噂を聞いた。4×5のカメラではカットフィルムをつかうのが一番いいのだが、新聞社では12枚セット(コダックのトライXフィルムは16枚セットであった)になったパックフィルムをつかった。

 この12枚のパックは1枚1枚撮影が終わるとタップ(引き紙)を引いて、次のフィルムをセットする仕掛けになっていた。タップを引かずに撮影すれば2重写し3重写しになる。このタップの紙を引かないで切ってしまうというイタズラをやられたカメラマンがいた、引き紙が見えないから当然フィルムはセットされているものと思う。これは無惨なもので1枚のフィルムに12重写しになり1枚も写っていないことになる。

 こういうイタズラは、生意気だと思われている腕利きのカメラマンに対しての嫌がらせであったようだ。カメラマンは撮影の前にそんなことまで神経をはりめぐらせていなければいけなかったとも言える。