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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

オリンパスペン2
 35ミリライカ判のフィルムを半分サイズで使うカメラはオリンパスペンが最初ではなかった。ライカ72があったし。昭和30年代、銀座の街頭写真屋さんが使っていたカメラ上部に日の出の太陽のような半円形がついたアメリカ製のカメラ、マーキュリーがハーフ判だった。しかしオリンパスペンは、そういうカメラと比較しても、とにかく小さかった。この小さいことが人気のでた最大の理由だろう。

 はっきり覚えていないのだが、私たちがこのカメラをオリンパスの宣伝を通して買った値段は4千円ちょっとだった。オリンパスペンは何台も買ったけれど、今は1台も手元に残っていない。40年以上前のことだから誰に差し上げたか全部は覚えていないが、親戚やら友人、知り合いでお世話になったり、貴重な頂戴物をしたときのお返しにさしあげたり、入学祝いにプレゼントしたりという覚えがある。ちょうど値段がころあいだったのだと思う。

 カメラは高価な物という感じがあったから、大変喜ばれた。しかも差し上げたかたはいずれも写真などそれまでやったことのない人たちだった。いま思い出して数えてみるとみるとどうも10人以上はいるようである。

 今のようなオートカメラではなかったから、差し上げて写るかどうかすこし心配だったが、カメラといっしょにフィルムをプレゼントして、昼間、明るいところではF8、200分の1秒、部屋のなかでは絞り開放25分の1秒でシャッターを切ることと、距離は大まかでよいから合わせることを教えた。

 シャッタースピードは4種類しかないから、覚えることはそれほどない。それにレンズの焦点距離が28ミリだったから、被写界深度が深い。こんなことで差し上げたみなさんが、初めての写真なのに結構しっかり写るものだから大変喜んだ。このカメラがきっかけで写真をはじめた人もいた。

 当然のことだがまだカラーの時代にはなっていなっかった。昭和30年代前半モノクロ時代である。私の周辺でもこんなに人気があったからオリンパスペンはカメラ業界では大ヒット商品になったのだとおもう。

 自分でもこのカメラが好きで結構持ち歩いていた。ところがこのカメラで記憶に残る写真を撮った覚えがない。カメラに対する思い入れのは、あのときあの写真を撮影したのは、このカメラであったと言うようなことで形作られるようなところがある。

 そういうことから考えるとこのオリンパスペンには、写真に関連してそういう思い入れの部分がない。それでもこのカメラに愛着のようなものを感じるのは、自分の写真家としての部分よりもカメラ愛好家の部分であったのかなと思うし、それとも違う何かがあるようでもある。

 はじめに申し上げたように小さいということが、このカメラの人気にかなり影響していると思う。しかし小さいということだけならば、今も、手元にあるがミノックスというドイツ製のカメラがある。このカメラなどは精密機械の美しさがあって、ほれぼれとしてしまう。ミノックスも人に見せびらかしたい気持ちがあってずいぶんと持ち歩いたが、このカメラでいい写真を撮ろうなどという気持ちはまったくなかった。これはカメラという機械から受ける美しさに対する愛玩物のような気持ちだと思う。

 オリンパスペンが好きだったのは、ミノックスを愛したのとは気持ちの上で大分違うところがある。ミノックスと比べたらオリンパスペンは、がさつでブリキ細工のオモチャのような感じを受けてしまう。そうだオリンパスペンはオモチャだったのだ。

 小さいカメラなのにミノックスのように8ミリ×11ミリのような特殊なフィルムをつかうのではなく、35ミリフィルムを使う。こんなところが気に入ってこのカメラを持ち歩いたのだ。持ち歩いて見せびらかしたりして、よく考えてみるとなんのことはないオリンパスペンの宣伝マンをやっていたようなものだ。

 この気持ちは私だけではなかったと思う。仕事で使おうとは誰も思っていないから出版写真部にオリンパスの宣伝部の人がくると、みんな勝手なことを言った。スローシャッターが欲しい。距離計を付けた方がいい。レンズを短くして固定焦点にしたらもっと誰でも使えるようになる。レンズが28ミリは中途半端だもっと広角レンズをつけたほうがいいのでは、などなど。

 これはなにも朝日の仲間たちだけのことではなくて写真家がみんな同じ感じでいろいろと希望を言ったと思う。オリンパスペンのことを書いた資料があまり手元にないのだが、あれは当時オリンパスの写真好きの若手の技術者たちが作りあげた物と言われていたが、面白いことにオリンパスはこういう無責任とも思える希望をどんどん実現していった。

 ピント合わせを省略してしまった固定焦点式のペンが売り出されたし。たしか昭和30年代の後半にはEEカメラも作られた。25ミリの広角つきも出来た。明るいレンズの着いたペンも発売された。それがどんどんマニアック化されて到達したのがオリンパスペンFだと思う。

 35ミリハーフサイズに人気がでたものだから、当然のことだがほかのメーカーもハーフサイズカメラを作り始める。リコーのスプリングによる自動フィルム巻き上げのオートハーフ?やキヤノンのレンズ全面に電話のダイヤルのようなデザインのダイヤル35、これもスプリングによる自動巻き上げであった。ペンFはオリンパスがそれに対抗して作りあげた商品だったのだろう。

 オリンパスペンはいわゆる名機とか、コレクターズアイテムではないから、あまり取り上げる人もいないが、いまでもどこの家庭にも1台くらいはありそうに思える。昭和60年頃のカメラ雑誌を見ていたら、オリンパスペンは発売以来1500万台を売ったと書いてあるから、これは大変なベストセラー商品だったことがわかる。