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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

ニコマートFTN
 プロとして写真を撮るようになって、はじめの7、8年のことは実に鮮明に覚えている。朝日新聞・出版写真部に入ったころのことだ。ところが入社して10年から20年くらいの間のことがどうもはっきりしない。どんな仕事をしたかどんな写真を撮ったかは、おぼろげながら記憶がある。しかしあの取材は何年頃で、あの事件とあの取材はどっちが先だったかということになると、どうも、うろ覚えなのだ。

 仕事をはじめて7、8年は初心なので何事もはじめての経験ということで記憶が鮮明でしっかりしているのかも知れない。写真の仕事は一般的に一人前になるのに5年かかると言われている。

 5年経つと一通りの経験を積んでくるし自信もついてきて、たいていの仕事も、まあー不安なくこなすことができるようになる。それからさらに2、3年も経つと、もう「矢でも鉄砲でももってこい」みたいな感じになってくる。

 同時に写真を撮ることに慣れてしまって、あるいは撮ることの感激が薄れてくるのかも知れない。それで記憶がはっきりしないのだろう。 であるから使ったカメラのことも入社から10年くらいまでは、はっきりと覚えているのだが、その後があやふやなのである。

 カメラでいうとニコンFまでのことは鮮明なのだが、それ以降になると原稿を書いていて、念のためにと手持ちの資料や雑誌などを見直してみると、どうも間違って記憶していることが出てきてあわてて訂正することが多い。

 日常の撮影取材ではどのカメラを使っていたのかはっきりしないところがあるのだ。しかしその間でも海外取材のときのことは割合にしっかりと記憶がある。札幌オリンピックから二年経った昭和49年・1974年の夏、7月から8月にかけて1ヶ月ほどアメリカに野生動物を撮影にでかけた。

 日本で野生動物の絶滅問題が騒がれるようになり、この問題について先進国であるアメリカはどうなっているのかということで、アサヒグラフがアメリカの野生動物の保護の現状についてアメリカ大使館を通じて問い合わせをしたら、しばらくしてアメリカ政府農商務省から保護の現状を見たいのなら、ほかの国のジャーナリストと一緒になるが、それでもよければ何カ所かの現地に招待しましょうと言ってきた。

 グラフ編集部の記者Mさんとでかけた。指定されたフロリダ州ジャクソンビルの空港についてみるとアメリカ政府のお役人がワシントンからきて待っていた。それにドイツ、フランス、イギリス、カナダのジャーナリスト(ドイツはテレビの取材チームだった)が集って、ワイルドライフ・USA視察団ご一行ということになった。

 このチームは南のジョージア州のオケフェノキーからはじまってモンタナ州のバイソン保護区、アラスカ州ケナイ半島のサケの季節の熊とヘラジカの保護区、そうしてアリゾナ州コファ動物保護区と長期の取材を一緒にすることになった。

 この取材に持っていったカメラがニコマートであった。ニコマートFTNのボディを3台もっていった。何故ニコマートにしたのか、その理由がわからない。望遠レンズをつかうならばニコンFだ、それなのにニコマートをもっていった。ボディ2台はそのとき新調した。

 理由の一つは招待の案内状が届いたとき、そのなかに野外の取材であり、かなり僻地が含まれていて野生動物の保護区のなかには、歩いて行かなければ行けないところがある。旅行中、自分で持ち運びのできる範囲のカメラ機材にすること、ポーターはいないと、こんなことが書いてあった。

 野生動物を捕るとなると、望遠レンズは欠かかせない。撮影場所、条件のイメージがつかめない。どんな撮影があるかわからない。望遠レンズは600ミリを持っていきたいが、このレンズを持っていくとほかのレンズはあきらめざるを得ない。

 軽いと言うことでニッコールの500ミリ反射望遠レンズと1.5倍と2倍のテレコンバージョンレンズを300ミリレンズにつけることを考える。反射望遠レンズもテレコンバージョンもピントの精度と言うことでは、あまり気に入らなかったのだがやむを得ないと考えた。

 重量を少なくするためにカメラのモーターワインダーもやめる。ニコンはF2の時代になっていたが、私たちはまだFをつかっていた。すでに巻き上げに常時モーターワインダーをつけていたがこれをはずさざるをえないと思った。

 そこで考えたことはモーターを付けないのなら、ニコマートでいいのではないか、しかも露出計が組み込まれている。ニコマートは露出を計るための機材として使っていたし、ニコマートはそれまでハードな使い方をして故障が起きたという話は聞かなかった。

 そんなことも理由だったのだろう。それにそのころカメラは一級品でなくても写る。どんなカメラで撮ってもフィルム上に写った写真は変わらない。カメラにこだわるのは馬鹿だみたいな言い方に毒せられていたこともあった。

 ニコマートをメインカメラとして取材したのは多分このときがはじめてであった。この取材でニコマートを使って具合が悪かったことがいくつか出てきた。フィルム巻き上げレバーに親指がかかっていると、シャッターが落ちないのだ。落ち着いて写真を撮っているときはよいのだが、1枚シャッター切ったあとすぐに次のシャッターを切ろうなどと緊張するとレバーには当然指がレバーにかかってしまう。

 アラスカでは何回か飛行機に乗った。夏のアラスカは水上飛行機が一般的な交通機関であったから、ごく気軽に飛行機がチャーターできた。移動用だけでなく取材用にも飛行機を借りた。ケナイ半島でヘラシカやダル・シープを撮影するのも飛行機であった。爆音に驚いて走る動物を追いかけて撮影するときレバーに指がかかってしまった。

 コディアック島に向かうとき、途中の小さな島にトドの大群を見つけて撮影した。このときはもうすでにニコマートの欠点はわかっていたのだが、やはりレバーに指がかかってしまい、何度かシャッターチャンスをのがしたような気がした。

 ニコマートはシャッター音がニコンFに比べると少し安っぽい感じがしたが、これはあまり気にならなかった。もう一つの欠点はフィルムを現像してみて驚いたのだが、フィルムの一コマ一コマの間隔がばらついてしまうことだった。なかには画面が接近してしまってほとんどコマとコマの間がなくなってしまう箇所があった。

 それではニコマートは駄目なカメラかと言うと、けっしてそんなことはない。ニコンFを使っていてF2が出たのに機種を換えなかったのは、ニコマートで充分だみたいな感じがあったからだと思う。

 話はカメラボディのこととは違うが、この取材から帰国して、雑誌が出たときまずかったと思ったのは、やはりレンズの選択であった。アサヒグラフの見開きページいっぱいに写真をつかうと、半切サイズより大きくなるのだがこの大きさまで拡大してみると、反射レンズとコンバージョンを使って撮った写真はピントがどこかあまく、画像がくずれるというほどではないのだが良くない。どうも気にいらないピントだった。

 それ以来コンバージョンと反射望遠レンズには、懲りてつかうことはなかった。数年前、20年ぶりにニコンの400ミリ望遠レンズに1.5倍のコンバージョンを借りて使って見て、昔のコンバージョンとはちがってすばらしい描写をするのに驚いた。

写真説明
アメリカ・モンタナ州 バイソン(アメリカ野牛)の保護区
絶滅しかけたバイソンは全米で35頭まで減ったが、この保護区は300頭の定数が維持されている。ほかに数カ所保護区がある。