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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

一眼レフカメラの長所と欠点 4
 前回は写す瞬間に相手が見えなくなってしまう一眼レフカメラの欠点を書いたが、欠点はそれだけではない。もう一つはシャッターが遅れてしまうことだ。もちろん、どんなカメラでもこの遅れは生ずるのだが、一眼レフカメラはミラーを上げ下ろしする余分の仕事をしているから、その分遅くなってしまう。

 朝日新聞社に入って古いライカを使いはじめてから、6、7年は新しいライカを買うことは出来なかった。日本国内では値段が驚くほど高かったからだ、それでも海外へ取材に同僚たちが出かけるようになってくると、無理をして闇ドルを手にいれてライカを買ってくるようになってきた。

 海外に自由に渡航出来るようになったのは昭和39年だ。闇ドルといってもおわかりにならないだろうが、昭和30年代、1ドル360円の正規交換レートだったが、海外に出かけるのにドルの持ち出し制限があった。期間にもよるが最初の海外旅行のときは持ち出しは500ドルであったと思う。それでは取材も満足にできないので闇ドルを買って持って行った。闇ドルは1ドル400円くらいで買えた。

 30年代の中ころ東南アジアに出張した人に頼んで香港でライカIIIFを買ってもらった。闇ドルを渡して頼んだのだが、日本国内で正規に買う値段の3分の1ほどで買えたように思う。M型ライカは発売されていたが、とても高くて買えなかった。IIIFは昭和25年発売だから、もう10年はたっていたころのことである。このとき買ってもらったIIIFはセルフタイマーのついた後期型ではなかった。

新しいライカが欲しかった理由は、古いライカを使い慣れていたこともあるが、なんと言っても国産カメラのニコンSやキャノン4sbに比べてシャッターが軽かったからである。シャッターが軽いと言うことはシャッターの遅れが少ないことになる。

 そうやって新しいライカが手に入るようになってきたころ、私たちの間で流行ったことの一つは、シャッターをいかに軽くするかということだった。そのころからライカの日本代理店はシュミットという会社がやっていたが、まだシュミットにはだれも知っている人がいなくて、社に出入りのカメラ修理屋さんに頼んだ。

 シャッターボタンをひっかけて止めているガバナーを削って、引っかかりを少なくし、シャッターが軽く落ちるようにする。これは少しずつ調節をしながらやってもらうのだが、なかなか気に入ったようにならない。削りすぎるとほんのわずかなショックでもシャッターが落ちてしまうようになる。なかにはあまり軽くしすぎて、胸にぶらさげてているライカのシャッターが、歩いているうちはよいが、走り始めると一歩足を踏み出すとシャッターが落ちてしまって撮影しようとすると巻き上げたはずのシャッターがすでに切れていてあわててしまうようなことが起こった。何故こんなことをしたかといううと、シャッターを一瞬でも速く切りたいからであった。

 タイムラグという言葉がある。時間の遅れ、あるいは乱れの意味だ。辞書をみるとラグとは人が遅れる。のろのろ歩く。ぐずぐずするとか、機械や電気で流れや流動の遅滞などと書いてある。写真の世界では、はじめはカメラという機械のなかで起こる時間の遅れを言っていた。つまりシャッターボタンを押してから実際にシャッターが切れるまでの時間のことである。ところがいつの間にか機械の遅れだけでなく、それにプラスして人間のほうの遅れを加えた両方を言うようになってきた。

 人間はある瞬間を撮ろうとして目で見て脳に伝える。脳はシャッターを押すことを指先に命令する。シャッターボタンが押されカメラは動きはじめる。一眼レフのミラーが上がる。絞りが動き、シャッター膜のスリットがフィルムの前を走る。これでシャッターが切れたことになる。目で見た瞬間からシャッターが切れるまでの時間をタイムラグというのだ。

 渋谷の街でカラー・ラボの受付でアルバイトでをやっていた学生から聞いた話だが、撮影したフィルムを現像にだして、受け取って帰ったお客さんで、あとから苦情を言ってくる人が結構たくさんいるのだそうである。若い女性が多いのだそうだが、家へ帰ってできあがった写真を見たら写したはずの写真がない。伸ばし忘れたのではないか。フイルムを現像所で無くしたのではないか。と言うたぐいの苦情だ。

 だれだれさんのすっごくいい表情を確かに撮ったはずなのに無い。友達の笑い顔の素晴らしいのを写したのに無い。そんなはずはない、おかしいと言うのだ。こういうお客さんには口でいくら説明してもわかってもらえないので。フィルムをライトボックスに広げてもらい伸ばした写真と一々フィルム番号をつけ合わせて見せるのだそうだ。そうすると撮ったものが無いのは、このカメラがおかしいと言い出すのだそうである。

 これはタイムラグのせいだ。自分が写したと思った瞬間が写らないことから起こる錯覚のようなものだ。目でその瞬間を見て写しても、その瞬間は写らない。目で見た瞬間の少しあとが写るのだ。

 このタイムラグが写真の表現技術では大変な役割を果たしているのである。決定的瞬間という言葉はカルティエ・ブレッソンが1952年に出版したイマージュ・ア・ラ・ソブエのアメリカ版ザ・デサイシブ・モメントからはじまったが、この決定的瞬間を写すためには、何時シャッターを切るのか、これが大切だその決定的瞬間を目で見てシャッターを押したのでは、その瞬間が撮れないのだ。

 このごろはタイムラグのことをあまり言わなくなってしまったが、かって名カメラマンあるいは優れた写真家というのは、タイムラグを克服した人であった。
 だから私の先輩たちは色々な言葉でこれを教えようとした。一瞬の間合いを切ると言う剣道の達人みたいな言葉で教えてくれる人がいたり。とにかく早め早めにシャッターを切れとか、相手の動く一歩手前でシャッターを切るとよいなど、つまり何事にもシャッターがおくれることは禁物であった。

 シャッターの遅れは一眼レフカメラ以前からあったのだが、一眼レフの時代になってあまりにもシャッターが遅れるものだから、よけいに問題にされた面もある。しかしなんと言ってもこれは一眼レフカメラの欠点の一つなのだ。

 昔は何となくタイムラグを感じていたが、いまは一眼レフカメラの場合は10分の1秒くらい遅れるとわかっているのだから、こらがわかっていれば問題は割合に簡単なこととなる。10分の1秒遅れるのならば、10分の1秒前にシャッターボタンを押すことで解決が出来ることになる。

 とは言ってもタイムラグは無いほうがよいし、あっても出来るだけ少なくしたい。メーカーもそれがわかっているから努力をしている。最近の某社のカタログにはタイムラグに挑戦して解決したカメラなどという惹句が使われるようになってきている。