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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

ニコンF1
 6月にニコンは創立50周年をむかえてF5記念モデルを発売した。ニコンの最初のカメラのロゴをいれた限定モデルである。ニコンのフラッグシップモデルはF5になった。5代目のF5は96年暮れに発売された。F型は新しい機種になるごとに買って使ってきたが、F5はまだ手に入れていない。F4は一眼レフカメラでは一番使う頻度が高い。このカメラにすっかり慣れてしまっていて35ミリ一眼レフではこれが目下最高モデルだと思っているので不自由を感じないからだ。ニコンFが発売されたのは昭和34年1959年の夏だから今年で38年たつことになる。ニコンFは新型がでてから9年ほどたつとつぎの型がでてくる。

 ニコンFの発売でカメラは一眼レフ時代になったと思う。この連載で以前、ミランダ一眼レフのことを書いた。ミランダで一眼レフカメラの長所が分かりすぎるほど分かっていたから、ニコンFをつかうのに迷うことはなかった。ミランダはペンタプリズムを使ったアイレベル一眼レフの先駆者で機能的には充分であったが、カメラの材質が悪かった。裏ブタを見ても真鍮の薄い板金がつかってあってすぐ曲がってしまいそうな感じであった。

 ミランダについて復習してみるとオリオン精機からミランダの前身のフェニックスが発売されたのが昭和29年だが、フォーカルブレーンシャッターを使った本格的なペンタ一眼レフは昭和30年暮れに出たミランダTが国産では最初だと思う、私の記憶ではそれから2年ほどたってアサヒペンタックスが発売された。ペンタックスがでて私たちの部にも新しいペンタックスカメラが何台も持ち込まれたが、すでにミランダのためにニコンやキャノンのレンズを切って使っていた私たちにはペンタックスのクイックリターンミラーもそれほど魅力には感じなかった。

   シャッターを押すとミラーが跳ね上がってファインダーの映像は見えなくなる。これはたしかに不便だったが慣れてしまえば何とかなった。ところが絞りの方は焦点を合わせてから改めて絞りを操作するると言うことは猛烈に不便だったからこれは許せなかった。その当時、朝日新聞出版写真部の若手部員だった私たちが話していたことは、新しい一眼レフに自動絞りがつけばこれは買いだと言うことだった。

 それでどうしたかと言うと、一つは絞りを絞らないで写真を撮ると言う方法だった。もう一つは絞りを操作せず絞ったままでピント合わせをする方法だった。ずいぶんとずぼらな撮影方法だったが、これが役に立った。別に誰がやり始めたということではなくて、ミランダを使っていたものはみんな同じ方法をとっていたとおもう。

 その方法が許されたのは、長いレンズを使ったときの一眼レフの正確なピントの合いようにあった。ねらった一点にピントがきっちりと合ってあとがぼける。あまり絞らずに使うのだから被写界深度が浅くなるのは当たり前のことであったが。これが新しい写真表現につながるところもあって、しばらくはこの面白さに溺れているようなところもあった。

 ニコンFが発売されるとミランダからの機種転換は一気に行われた。これはニコンFの画期的な性能によるものだった。普通はそれまでつかっていたカメラには愛着と未練が残るのだが、このときはだれもそんなことを言わなかった。ミラーがクイックリターンになったこと、絞りが完全オートになったこと、ファインダーの視野率が100パーセントちかくなったことなども理由だったが、全体ががっしりとしていて、ミランダのブリキ細工にくらべると立派な機械になっていた。ペンタプリズムファインダーの三角のトンガリは気になったが手触りの感じが重々しく丈夫そうな感じをうけたことも最大の理由になった。

 35ミリカメラでは50ミリレンズで撮影するとき、縦位置画面いっぱいに人物全身つまり頭のてっぺんから足の先までを切らずに入れようとして距離を計ると、カメラから対象の人物までは3メートルになる。だから人物スナップの最初の練習には距離をあらかじめ3メートルにセットして、人物をねらい画面一杯になったらシャッターを切る練習をする。
 あらかじめ距離をセットすることを(これは私のきらいな言葉でつかいたくないのだが)オキピンと言う人が多い。オキピンとはピントをセットして撮影することである。そんないい加減なことでピント(焦点)がしっかり合うのかと心配するが、たとえばレンズの絞りをf11に設定し、距離を3メートルにセットして撮影すると、被写界深度のおかげでほぼ2メートルから5メートルの範囲がピントが合ったように見える。

 被写界深度とは、ある1点に焦点を合わせて絞りを開放から順次絞っていくと焦点が合ったように見える範囲が次第に広がっていく範囲のことを言うので、これをうまく利用することも写真術の一つなのである。

 3メートルで撮影する練習をして慣れると、絞りf11ほどの深い被写界深度がなくてもきっちりとピントが合った写真が撮れるようになってくる。だから昔の写真術では3メートルという距離感覚を大切にした。この3メートルの距離感覚が出来るとオートフォーカスカメラはあまり必要がなくなってくる。街に出かけてひたすら3メートルの距離で撮影する方法を試みるのもよい。3メートルに対象がきたらシャッターを押すのだ。これだけで今までと大分ちがった写真が撮れる。ズームレンズ全盛の時代に単体のレンズ1本をマスターするなどというのは、流行らないかもしれないが、一つの焦点距離のレンズでフレーミング感覚を作る方が、写真を撮ることのためには近道である。

 ニコンFが発売されて、小型35ミリを使用するカメラマンの機材が変わった。雑誌のグラビアなどルポルタージュ的な取材をするとき、一般的にはニコンFに105ミリをつけたカメラ1台と35ミリか28ミリレンズをつけたライカやキャノン、ニコンなどのレンジファインダーカメラを1台これを持つのが標準的な装備だった。もちろん仕事の内容でレンズなどが変わるのは当然のことであった。

写真説明
上段写真
 このニコンFでは二台目に購入した愛用機だ。多分昭和37年に買ったと思う。正面からのスタイルを見るとはやたらと角張っている。最近のカメラにはこんなにごつごつしたスタイルのカメラはない。

中段写真 このニコンFは、まだどこも故障せずに動いていいる。巻き上げレバーだけをF2が出た後で変えてもらった。Fには金属製のレバーがついていた。レンズは50ミリf2がついている。

下段写真 ニコンFはいまでは珍しいが裏ブタが着脱式になっている。ニコンS型はコンタックスをモデルに作られたから、Fの裏ブタ着脱方式はコンタックスからニコンSそうしてF型に引き継がれた伝統的な方式である。