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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

はじめて一眼レフ『ミランダ』を使って驚いた
 デジタルカメラの1ぺ一ジ広告が2週続いて新聞に掲載された。キャノンのパワーショットとソニーのサイバーショットだ。東京では全部の新聞の朝刊に載ったから結構話題になった。写真グループの月例会に集まる人たちにもこの広告を見た人が多く、いままでデジタルに関心のなかった人たちから、デジタルカメラはどうですかと質間が出るようになった。
 いままでの銀塩カメラで撮影した写真を、パソコンでいろいろと処理をするデジタルフォトには全然気が進まずパソコンに無縁のアマチュア写真家たちも、カメラのこととなると話は別で、デジタルカメラで撮影することについては興味があるのだ。アマチュア写真家と言ったが、趣味で写真をやっている人も写真を職業としている人も、新しいカメラにはすごい早耳で、関心があるからどんな情報にも注意をしている。大宣伝をはしめたデジタルカメラに眼を向けるのは当然である。

 写真家たちの集まりや写真学校の学生にオリンパスのデジタルカメラC-800Lカメデアで撮影した写真と、以前から持っていた画素数の低いデジタルカメラで撮った写真、それにニコンF4で撮影したポジフィルムとこの3種類を、パソコンから、おなしプリンターで出力したA4サイズの写真を、ならべて見せると「すごいなー、デジタルでもこんなにきれいに写るのですか」と感心する人と、銀塩写真と画質をくらべみて「まだ、こんな程度ですか」と言う人とがいて、この反応は面白い。ただ共通しているのだが、自分でカラー、モノクロを含めて現像引き伸ばしをやっている人たちは、デジタル写真がプリントアウトまで薬品と水は一切使っていないことを言うと、そのことに質問が集中する。
 これは普段から現像液などの薬品の垂れ流しという公害間題に気を使っていて、そのことが気になっているからだ。目下のところデジタルカメラの一番のセールスポイントはこの点とフィルム代がかからないことではないだろうか。デジタルカメラが売れるか売れないかは、宣伝によるのではなくて銀塩カメラで撮影された写真よりも、描写能力、色彩表現力、細密性などの画質の性能が優れてくればアマチュア写真家たちは黙っていても買うと思う。

 一眼レフの話になんでデジタルカメラの話が出てきたかというと、昭和30年代の始めにペンタプリズムを使った一眼レフが発売されたときのことを思い出してしまうからだ。一眼レフ時代が到来したのは、革命的とも言えるその性能がそれまでのレンジファインダー式のカメラを超え、それまでのカメラでできないことを可能にしたからだ。
 昭和30年の夏過ぎだったろうか、はじめてミランダをつかった。最初は不格好なカメラだと思った。ズノー50ミリという聞き慣れない名前のレンズがついていた。シャッターボタンがボディー上部と、レンズ取り付け部のすぐ横の前面の2カ所についているのが面白かったが、撮影してみてあまりいい印象は受けなかった。シャッターを切るとミラーが跳ね上がって映像が見えなくなってしまい、たよりない感じがした。フィルムを巻きあげることでシャッターがセットされ、跳ね上がったミラーがやっともとにもどった。五角プリズム式の一眼レフカメラが上下左右の正像を見せてくれることはよくわかったが、これは特別に素晴らしいこととは思わなかった。最初の試用ではペンタプリズム式一眼レフカメラが持っている素晴らしい特性に気がつかなかった。

 1月ほどして、K氏(Kは前回申し上げた船山克氏のことで写真家Kが通称であった。私たちもKさんとよんでいたから以降K氏と省略させていただく)がニコンS用のニッコール105ミリレンズだったと思う、あるいはキヤノンの135ミリレンズであったかも知れない。レンズの鏡胴のお尻の部分を切り取って短くし、ミランダにあわせてレンズマウントを付けたものを使い始めた。彼が「これはすごいよ」と感心しているのを聞いてもまだその意味がわからなかった。K氏がオリオン精機から望遠レンズつきのミランダを借りてくれた。このレンズはキヤノンの135ミリであった。ほとんど同じ時期にレフボックスをつけて使っていたキヤノンの200ミリとニッコール180ミリF2.5レンズをミランダに取り付けられるアダプターが届いた。
 先輩であるKさんは私たち後輩の面倒をよくみた。一つの仕事をどうやって撮ろうかと悩んでいると自分のことのように考えてくれて、その仕事のために自分がもっている私用の高価な機材を惜しげもなく貸してくれた。私をふくめて後輩の同僚たちはこれに甘えてかなり長期間、高級カメラを借用したりしていた。ミランダのときも自分のところに持ち込まれたものを、自分が試している途中で貸してくれたのではないかと思う。そんなことがあってミランダを持ち歩いて撮影をはじめた。標準の50ミリレンズでは解らなかったことか見えてきた。

 ポートレートを撮影した。ライカを使ってもキヤノンをつかっても、100ミリ近辺の長焦点レンズでは、眼に焦点を合わせてかなり絞って撮影しても、きっちりとピントが合うのは10枚撮って3枚くらいか、いや厳密な意味では1枚もなかった。レンジファインダーの基線長から考えれば、長焦点レンズを使っても焦点は合うはずなのだか、簡単には合ってくれなかった。お前さんが未熟だからと言われそうだが、同し時期、出版写真部の仲間、知り合いの写真家、先輩を見回しても私の状況とは変わらなかったと思う。
 ミランダでポートレートを撮影するとき、はじめは今までと同じようにレンズをかなり絞って使おうと思った。ところが専用のズノー50ミリレンズにはプリセット絞りがついているが、改造望遠レンズはレンジファインダー用のものを改造しているから、プリセット絞りなどという気の利いたことはやってくれない。レンズは絞れば暗くなる。当然のことだが暗くなれば焦点は合わせにくくなる。当時のレンズをつかう常識としては、ある程度絞るのが当たり前のことなのだが、ミランダではピントを合わせてから改めて絞るのが面倒なものだから、はじめの段階からレンズを開放に近い状態でつかうことになってしまう。この方法で撮影をはじめた。

 ところがである。撮影したフィルムを現像して驚くことになる。絞り開放で撮影したポートレートのピントが驚くほどよいのだ。135ミリレンズで人物の顔を24x36ミリのフィルムの画面いっぱいに写した全部が、ピントを合わせた眼のまつげの位置にぴちっと合っている。ルーペでのぞいただけでは信用ができなくて、あわてて引き伸ばし暗室に入り、半切に伸ばして確かめてみる。キヤノンの135ミリのレンズがこんな精密な描写をしてくれるなんて、こんなことは信じられなかった。フィルムに写っている写真が、自分がいままで使っているのと同し135ミリレンズで撮ったものとはとても考えられなかった。何故こんなことが起こるのか、これはしばらくミランダを使っていてわかってくる。

 被写界深度と言うのをご存しだろうか、レンズには絞りと言う機構かついていて、部屋に入ってくる光線をカーテンを開け閉めするのと同じように、本来レンズを通ってフィルムを感光させる光の量を調節する機構なのだか、同じ距離に焦点を合わせてレンズを絞っていくと、ピントが合ったように見える範囲が広がってくるという性質を持っている。135ミリレンズを例にすると、人物の顔をアップで撮影するために絞りをF3.5開放として、距離1.5メートルに焦点を合わせると、その点を中心に前後に14ミリほどピントが合ったように見える範囲が出来る。これを被写界深度と言って、写真の撮影にはこれを利用することが基本技術となっている。前後合わせて30ミリもピントか合って見えるというのなら、これで十分のように思うが人間の顔は平面ではなく立体だから、ほんとうにわずかしかピントか合って見えない。眼鏡をかけた人の顔を撮って眼鏡の縁に焦点が合って目玉にピントが合っていないと言うようなことが起こってくる。レンジファインダーカメラで写真を撮ると何故かピントがはっきりしない。ところが一眼レフではピントグラスにフィルムに写る映像がしっかりと見えている。

 一眼レフを使っている人は意識せずにやっているのだが、ファインダーをのぞきながらピントを合わせた一点をしっかりと見て、レンズの鏡胴を動かし、さらに自分の体を僅かに前後しながら焦点を調節しているのだ。レンジファインダーでもできることなのかも知れないが難しい。レンズの焦点距離が長くなれば長くなるほど、レンズが明るくなれば明るくなるほど、ピントか合って見える範囲は浅くなり、焦点か合っているか合っていないかがはっきりしてくる。この能力は一眼レフカメラの特性と言えるものだ。

 一眼レフになって、ポートレートの撮影方法が変わった。被写体である人間も動くし撮影者も動いている。焦点が流動的なものだという前提で考えればよいのだ、マニュアルでピントを合わせるときは、ある程度鏡胴を動かして距離を調節したら、微調整は自分の体を動かしてやるのだ。これは一眼レフカメラでなければ出来ない。これをミランダがやってくれた。長焦点レンズ望遠レンズの性能がこれほど素晴らしいものとは思っていなかった。言い方を変えればミランダによってはじめて望遠レンズが使えるようになったのだ。

一眼レフカメラの特性を考えてみよう。・・・・・・次回、ミランダを持って次に撮影に行ったのは上野動物園である。