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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

絵はがき
 2年ほど前に、この連載で「絵はがき」のことを書いた。明治時代、絵はがきが出来たころから、絵はがきがニュース写真、報道写真のメディアとしての大事な役割を果たしていた時期があったので、もっぱらその点について取り上げた。

 絵はがきには、事件もの、ニュースもの、行事ものもあるが、同時に名所、旧跡、神社仏閣、記念物、風景などの絵はがきが多く売られていて、写真で写せるものなら何でもありの映像メディアであった。

 いま、若い人の通信手段はケイタイであり、ケイタイによるメールであり、PCでのメールである。で、若い人たちは葉書、手紙などをあまり書くことはないのだが、絵はがきを出したことがあるか聞いてみると、中学や高校のとき修学旅行先で、引率の先生が家の両親宛に絵はがきでよいから手紙を出すように言われて書いたと言う人がいた。学校によってそういう指導をしているところがあるのだろう。

 絵はがきのイメージは、可愛い、きれいな絵が印刷されているもので写真を印刷した昔ながらの風景絵はがきなどは思い浮かばないようである。ここで若者と言っているのは、高校生から30歳位までのことだ。

 アマチュアの写真月例会で、メンバーの一人が友人に勧められて別の写真勉強会に顔を出したら、そこの先生から「こんな絵はがきみたいな写真は駄目だと言われた」「先生、絵はがきの写真て、どういう写真なのでしょうか」と質問された。この人は若者という年齢よりは上なのだがどうも絵はがき写真の概念がわからないと言う。

 「絵はがきみたいで駄目だ」と言われた写真は風景写真である。絵はがき的であまり面白くないという批評の言葉は、ずいぶん昔から使われていて、写真が類型的でどこかで見たことのあるような写真、同じアングル、カメラ位置からさんざん取り尽くされた角度の古い写真のイメージに対して割合に安易に使われてきた批評の言葉である。

 批評された写真はたしかにそうなのだろうが、昔からこの言葉をさんざん聞いてきた年輩の月例会のメンバーなどは、そういう批評をする講師を月並みな批評をすると軽蔑するようなことも起こる。

 こういう先生は、有名観光地などを撮影した風景写真を見てあまりにも平凡、何の取り柄もない写真を、うまく講評できないものだから、つい「絵はがきみたいで駄目だ」といってしまうのだろう。というと絵はがきは悪い写真、下手な写真の見本のように誤解されるが、これは間違っていると思う。

 絵はがきは有名地を撮って、大事な情報は完全に入っていなければいけない。あまり個人の好みで極端に強調したり、余分なものが入り込むと落第だ。したがって超広角レンズや、望遠レンズなどを使って遠近感が誇張されたり、なくなったりする撮影法はとらない。

 平凡で古臭く見えるかもしれないが、撮影され、発売されたはじめの時期では、決して古い印象などではなく新しい表現であったと思う。発売してから何年、何十年と同じ絵はがきが売られているものだから、古くさいという感じを受けるのだろう。

 昭和45年(1970年)、大阪で国際万国博覧会が開かれたとき、大阪万博絵はがきを作る手伝いをしたことがある。朝日新聞が絵はがきを作ったわけではない。東京の有名な絵はがき出版元と朝日の出版業務との間で業務上の提携(このいきさつ=経緯はよくわからないのだが)があって、万博開催日以前に撮影した万博パビリオンなどの写真を提供して絵はがきを作成することになった。

 3月15日が万博の開会式であった。それ以前から、各国のパビリオンが日時を変えてプレス用に公開していた、アサヒグラフの万博特集を発行する予定があったので、出版写真部は10人ほどのメンバーで取材チームをつくって大阪に取材に出かけた。

 絵はがき用の写真もぜひ撮影して欲しいという要望があって、メンバーのなん人かが、絵はがき会社の人と会った。そのとき絵はがきの写真とはどういうものかを、説明を受けて偉く感心したことを覚えている。

 このレクチャーでは、出来るだけ標準レンズで撮影してくださいと言うのがあった。目で見た感じとあまり違う写真はお客さんから喜ばれないのだそうだ。また万博のように期間が半年と限定されているときは問題がないが、風景絵はがきなどは人物を画面に入れないように撮るというのには驚いた。

 お祭りなどの衣装や民族衣装を着ているときは問題ないが、人物が入っていると人物のコスチューム、服装は2年ほどで流行があって変わってしまうので、絵はがきが売れなくなってしまう。絵はがきは作ったら2−3年どころか何十年と売らなければならないのですと言う。

 風景写真では添景人物がかなり重要で、これによって風景の大きさが表現されたりそれにより風景が生きてくることが多い。それが入ってはいけないとなるとこの風景がつまらなくなってくるのは目に見える。

 風景とは目を楽しませるものとしての、自然界の調和のとれた様子、あるいは自然、建物、人などによって形作られるその場所、場面などの様子、ながめなどを風景というのだろう。良い風景写真は撮影者がその風景に接して受けた美しさ、感激をいかに表現するかできまってくる。ところが絵はがきでは個人の感銘 があまり現れることをさけているのである。

 だから「絵はがきのような写真を撮るな」は、撮影者の感動が現れるように写真を撮れということなのだ。

 写真学校専科卒業者の例会のとき、出席者の一人が「先生に差し上げます」と言って、絵はがき写真が収録されているCD「絵はがき地域別オールド西日本版」「東日本版」2巻と「明治の絵はがき」3巻を届けてくれた。PCの先輩からのもらい物だそうである。

 インターネットで「絵はがき」を検索してみると、絵はがきのオークションもいくつかあるが、実にたくさんの団体、機関や個人を含めて、収集した絵はがきを公開しているから、ネットでサーフして絵はがきを見ているだけで、ずいぶんいろいろな種類の絵はがきにお目にかかることが出来る。

 しかし自分で絵はがきを収集してみようという趣味はないから、明治時代に発行された絵はがきをまとめて見る機会はあまりなかった。この5枚のCDには1点に100枚くらいの絵はがきが入っているから一挙に500枚以上の絵はがきコレクターになった。

 10 年くらい前は、デザイン用に材料写真などが著作権フリーで売られるのが盛んなころだから、絵はがきの著作権フリーの画像も売られていたのだろう。これはあやふやな記憶がわずかにあるだけだった。

 CDは、ウィンドウズ3.1対応になっているから10年以上前に発売されたものだろう。スライドショウで2時間ほどかけて全部見た。圧倒的に多いのは神社仏閣、次が名所。観光地である。事件ニュース写真が10点ほど入っていた。博覧会とか新しい建造物のお披露目写真、それに世界偉人集などという人物肖像が数点入っている。

 もちろんモノクロ写真である。数点、着色写真が入っていた。神社やお寺などの写真は現在とそれほど変わっていないので興味を惹かない。自然風景もあまり変化がない。しかし風景に民家などの建造物が画面に入っている絵はがき、たとえば江ノ島や近江八景などはその変わりようの驚かされ見ていて飽きることがなかった。

 観光地などの絵はがきは、自分がそこへ行ってきたという証明みたいなものだったのだろう。明治時代が終わって96年もう100年近くたつ100年経って映像を伝達するメディアとしての絵はがきを見ると、これは記録であるという感じが強い。

 写真がもっている記録性は、作った人間も買った人間も意識していないのに自然の営みのように、使命を果たしているようだ。

 そう考えてみると、絵はがきのようの下手な写真は、記録としては価値があるのかも知れない。

写真説明
(1) 明治の絵はがき 伊勢二見浦初日の出
(2) CD 明治の絵はがき (1)(2)(3)とオールド日本・東版・西版全5巻 発売元はメイビスCDROM出版局となっている
(3) 明治の絵はがき 京都四条通
(4) 明治の絵はがき 江ノ島