TopMenu


吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

死蔵カメラ ライカM4-P
 先月ゴールデンライカを秘蔵カメラではなくて、死蔵カメラだと書いたが、金色ライカを取り出したついでに物置の整理をしていたら、しまいこんで忘れていたカメラやアクセサリーがいろいろ出てきた。

 使いもしないカメラは買うのは馬鹿だなどと、偉そうなことを言っていたのだが、死蔵カメラのなかに使ったことのないライカがもう1台出てきたのには驚いた。シュミット商会の包装袋に入ったままの包を開けてみたら、でてきたのはM4-Pのボディである。正確にはM4-PボディとライカM4-2ワインダーである。

 M4-Pは1981年に発売になり1987年まで生産された。ライカが1970年代の終わりころミノルタのCLEを大幅に改造した新型露出計内蔵カメラM6を出すらしいと噂が流れたことがある。そんな期待があったときに発表されたのがM4-Pであった。M4-PはファインダーがM4-2とは違って28ミリレンズ用のファインダーが内蔵された。

 私蔵のM4-Pを当時、買った理由は、それまで28ミリレンズをつけて使うときは専用のビューファインダーをアクセサリーシューに取り付けて使用しなければいけなかった。発売前にM4-Pには28ミリファインダーが内蔵されているとシュッミット商会の明石さんから情報をもらって予約をした。

 だから1981年発売と同時に買ったことは間違いない。ちょうどそのころ出版写真部の部長の仕事に忙殺されて、写真を撮りに行く時間がなくなってしまった。新しい28ミリレンズをM4-Pとワインダーと一緒に買った。28ミリレンズはすぐ使い始めたのだが、M4-Pは仕舞い込んで忘れてしまったのだろう。だからM4-Pでは一度も写真を写したことがない。

 写真部のロッカーのなかに仕舞い込み、日の目をみずに忘れられ、朝日新聞の定年のとき自宅に送った荷物にまとめて入れられ、さらにそのまま自宅で20年死蔵されていたことになる。恥ずかしい話だが定年のとき持ち帰った荷物は整理しないまま物置に入れたままだった。

 ライカのM4時代は筆者の写真人生と密接に結びついている。M4は1967年から1975年まで8年間発売された。筆者がM4を初めて買ったのは1967年、オーストラリアに取材に行った帰り、香港に立ち寄ったときだった。

 ちょうどその時期は朝日出版写真部の先輩、同僚たちの海外取材が多く、海外に行ったときは帰りにはライカを買って帰るのが通例のようになっていた。海外の取材がきまると親切な先輩が「ロスアンジェルスならどこ、ロンドンならどこそこのカメラ店、ドイツ、デユッセドルフならあすこ、ライカはヨーロッパで買うよりは香港が安い。香港なら何とかホテルのアーケードにあるカメラ店がよい」「出張旅費ではカメラは買えない。カメラを買うならヤミドルを買って持って行ったほうがよい」などと助言してくれた。

 オーストラリアには当時東京からの直行便は週に1便くらいで、ほとんどが香港経由乗り換え便だった。先輩たちのご忠告にしたがって香港で1泊できるならばライカを買って帰ろうと思った。そのために出発前、東京でヤミドルを500ドル買った。まだ1ドル360円の固定相場制の時代で、ヤミでは1ドル410円前後だった。

 2ヶ月ほどオーストラリアとニュージーランドに滞在した取材の帰り、乗り換え便の都合ということにして香港に1泊することにした。夕飯を食べてあとはホテルで一晩寝るだけの時間しかなかったが、カメラ屋に出かけることが目的だった。

 予定ではライカM3のあとに発売されていたM2を買うつもりだったが、カメラ屋の親父さんが、新しいM4が発売になったばかりでM2を買うよりはM4がよいと薦めてくれた。M3もあったが値段が高く買えなかった。M4はM2とは値段がそれほど違わなかった。新しいライカが発売されるとは聞いていたがM4がどんなカメラか何も知らたなかった。M4を買うことになった。

 後で聞いてみると当時、香港を訪れた人は、このカメラ店でカメラを買う人が多いことがわかった。中国人の親父さんには日本人の奥さんがいて、これから食事をするというと、奥さんと一緒に中華料理店に案内してご馳走してくれた。そんなことがあってこの店には翌1968年のベトナム取材の帰りにも寄ってライカを買ったし、その後何度も立ち寄ることになる。

 このライカからM4とのつきあいがはじまる。ライカは戦前のAが写真部の備品に数台あってそれを使ってていたが、レンジファインダーカメラはキヤノンとニコンが主であった。だからM4が徹底的に使ったライカと言うことになる。キヤノンもニコンも良いカメラであったがファインダーの見やすさはM-4が優れていた。

 ライカの精密機械としての良さはM3までで、それに比べるとM4はだいぶ落ちるという人がいる。多分そうなのだろう。でも筆者はM3を使ったことがないからM4を使って素晴らしいカメラと思った。

 最初に香港で買ったM4第1号などはずいぶんと荒っぽい使い方をしたが一度も故障をしたことはない。10年ほど使って、必要はないと思ったが、明石さんに勧められててオーバーホールした。シャッタースピードも計測してもらったがほとんど狂いがなかった。

 私が使ったライカはM-4とM-5ということになる。M6がそのあと発売になるが、写真学校の講師になってから、露出計内蔵ライカが欲しくなりM6を買ったがボディ正面、日の丸印の真っ赤なライカ文字が気になってどうしても好きになれず、買って半年ほどで友人に譲った。