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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

ゴールデン・ライカ
 使いもしないカメラを蒐集の目的だけで買うのはおかしいじゃないか、と言ってきた。10年ほどまえの写真学校の学生に写真機家を目標にして、カメラのカタログを丸暗記しているような男が何人かいた。なかには写りもしない古いボロカメラを集めているのがいて、蒐集した古カメラを教室でクラスメートに自慢するのを楽しんでいるのがいた。

 そのころ写真機家を名乗る写真家がいて、その開き直りが結構喝采を得て人気があった。写真家とちがって写真機家は写真を撮ることよりは、カメラのメカニズムに関心があって、本来は写真を撮る道具としての機械への関心が、機械そのものの関心に転化してしまったところがある。

 たしかにカメラは機械美を象徴するところがあって、新しいカメラに触れるときの心のときめきは、このカメラでどんな写真が撮れるのだろうという興奮と同時に、機械の持つ機能美とか道具の持つ美しさを目で確かめ、手に触れて確かめるようなところがある。

 デザインの良さ、質感、優れた工作があたえる信頼感に加えて、おなじ機械美でもカメラには手触りの感触を楽しむ機械と人間の接触をあげる人もいるし。シャッターを切ったときの軽いショックと音をあげる人もいる。

 カメラの善し悪しは、性能がすぐれていること、たとえばレンズの明るさなどは数値ではっきりあらわれる。シャッタースピードの正確なことなど、カタログ値にはっきりわかるものもあるが、使いやすさ、デザインの良さなども影響するし。筆者のように長く報道写真に関係していたものにとっては壊れないこと・耐久性の良さがとても大事なことに思える。

 使い良さは、手に持ったときの安定感というか自分の手にぴったりと合って、なんとも言えない心地良さを感じさせることが必要である。これはいずれも写真を撮る道具としてのカメラをのことであって、使わない道具を集めるような趣味には同意することができなかった。

 と、偉そうなことをいってきたのだが、主義に反して一度も使わないカメラを買ってしまったことがある。しかも、もう何十年も我が家のカメラの棚に包装紙で包みんだまましまいこんで使ったことがないカメラだ。ゴールデン・ライカである。

 ゴールド・ライカを最近のインターネット市場で見ると、もっぱらロシア製のイミテーション・ライカを金メッキしたものをいっているようであるが、筆者がここで取り上げているのはライカ社が発売した純正のゴールデン・ライカのことである。

 このM4-2ゴールデン・ライカを手に入れた顛末は筆者の「使わないカメラなど買うな」という日頃の主張に反するもので、大変恥ずかしいことだったからゴールデン・ライカを持っているなどあまり話したことがない。

 1970年代、出版写真部の仲間たちがライカの日本総代理店であったシュミット商会からライカを買うようになった始終については、この連載の105回に書いている。シュミット商会の支配人であった明石さんは出版写真部の仲間が買うときには破格のサービスをしてくれていた。

 1970年代終わりのころ、明石さんがオスカーバルナック生誕100年記念のM4-2ライカのゴールデン・モデルが発売になるけれど要りませんね、とわざわざ念を押してきた。日本に割り当てられた台数は20台、今予約をとっている。値段ははっきりしないがたぶん7、80万円くらいと思います。と言うことであった。

 要りませんねと!頭から買わないだろうと思っての明石さんのたずね方であった。出版写真部のカメラマンがコレクター向きのゴールデン・ライカを買うはずがないだろう。が念のためということだったろう。

 いままでライカを買っていた部員に、こちらも念のためと思って聞いてみると希望者続出で驚いてしまった。明石さんに電話をかけて希望台数を伝えるとそれは無理です。何台かお渡しするようにするから部内で抽選してください。ということになった。

 金色のライカなど恥ずかしくてとても使えるものじゃあないと思っていたのに、抽選と聞くと欲が出てきて何となく一口乗ろうと、申し込みリストに名前を書き込んだ。

 2ヶ月ほどして、もう1980年になっていたと思うがゴールデン・ライカが届いた。出版写真部には3台回ってきた。たしか3台だったと思うが、恥ずかしいことだという気持ちが続いていて忘れようと思っていたのだろう。記憶がはっきりしない。

 そのとき抽選をして当たってしまった。当たってもご辞退申し上げようなどと考えていたのに美しいゴールデン・ライカを見たら急に欲しくなってしまった。社内の信用組合で借金をした。確か70万円くらいだったと思うがいくらで買ったかそれも覚えていない。明石さんから市価は120万円くらいと聞いて驚いた覚えがある。

 信用組合からはカメラを買うために恒常的に借金をしていて、毎月給料から引かれていたから、金額をはっきり覚えていない。代金を払ったときは、このカメラを持ち歩いて写真を撮ろうと思っていたのだ。

 その年5月のオールアサヒ撮影会にいったら、参加したアマチュアカメラマンのなかに金ピカライカを2台も胸からぶら下げているのがいて、その人の人柄卑しく、見せびらかしのおっちょこちょいの成金趣味に見えて、ゴールデン・ライカを持ち歩いて写真を撮ってやろうという気力をうしなってしまった。

 自分が持ち歩いても見る人は同じ感じを受けるだろうと思ったら、とても恥ずかしかった。それ以来自宅にしまいこんでしまったゴールデン・ライカは、来客と話し中、何かの拍子に金色ライカに話が及んで、ついつい取り出したくらいであまり人に見せたことはないし、このカメラをもって外出したこともない。秘蔵のライカといえば聞こえはよいが死蔵ですね。

 ゴールデン・ライカはM4-2型である。ライセンスにはこのライカはライカの設計者であるオスカーバルナックの生誕100年記念として発売されるもので、24金のブレードを使用して作られ革張りの部分には特別製のトカゲの皮を使用。特別シリアル・ナンバーは。No100-0545 通常の製造ナンバーは1528182と書いてある。

 レンズはズミルックスF1.4/50mmがついている。レンズも金ピカである。木製の飾り箱に入れられていて、これを見ると使ってはいけない宝物カメラという印象を受けてしまう。

 オスカーバルナックはライカの設計者、ライカ1号(ウルライカ0)は1913年製造された。バルナックは1879年11月1日ドイツ生まれ。ゴールデン・ライカM4-2はこの生誕100年を記念してライセンスは1979年11月1日付けで発行されている。

 撮影のために久しぶりにゴールデンライカを取り出して見ると、金ピカと思っていたのが渋く落ち着いた黄金色で考えていたほど派手で品がない感じはしない。 30年の歳月が、カメラを見る目に変化をもたらしてきたのかもしれない。