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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

動物写真
 写真学校の専科を終了した人たちが集まって写真勉強会を続けている。この勉強会にはいくつかのグループがあるのだが、その人たちのなかに最近、動物園で動物の写真を撮る人たちが数人いて、動物写真が講評会に登場するようになった。

 もう何十年まえからか、動物写真といえば野生動物の写真で、動物園で撮った動物写真など見向きもされないようになっている。そんな時代にいまさらなぜ、動物園なのかと不思議な感じを受ける方もいるだろう。私の周辺にもアフリカ動物撮影ツアーに何回も参加している人が何人かいるが、その人たちは動物園の動物は本物ではないと思っている。

 勉強会で動物園で撮り始めた人たちは、動物園で飼育されているという、いわば囚われの身の動物たちを自分のイメージで表現したいということのようだ。なかにはアフリカの動物保護区だって今や動物園みたいなものであって、動物園の動物のほうが現実の動物の姿であると考えているものもいる。

 カラーで撮っている人、モノクロで作品をつくる人、そうして不思議なことにその人たちの撮る写真がそれぞれにまったく表現がちがう。同じ飼われている動物と言っても、それぞれに狙いが違うことの結果なのだろう。

 勉強会でのそんな作品を見ていて、もう50年も経ってしまったが、動物写真を撮りはじめたころのことを思い出した。そのころは動物写真を撮る人は少なかったし、海外にまで出かけて野生動物を撮影するなど夢のような時代だった。

 昭和30年、週刊で出ていて朝日小学生新聞で、新しい連載がはじまることになった。動物の身体の部分を写し、これはどの動物だろう?というクイズ連載だ。翌週にその動物の全体像を写して紙面に載せようという企画だ。

 1週間に1テーマだから、1日、動物園に行けば3、4週分はできるだろう、暇なときにやってくれないかと指名を受けて動物園に行くことになった。それまで動物園でも野外でも動物の写真は撮ったことがなかった。はっきり言えば動物と言えば人間以外、イヌやネコの写真も撮ったことがなかった。そんなことだからデスクも新米カメラマンにいろいろ経験を積ませてやろうという思いやりだったのだろう。

 雑誌の仕事をしていたから新聞写真とはかかわりがほとんどなかったが、新聞写真部では暇なときは動物園に行くと良い。季節の話題とか、いわゆる暇ダネで結構紙面を飾る写真が撮れると言っていることを聞いていたが、こちらは暇が無かったから動物園というところに行ったことがなかった。

 朝日小学生に連載の記事は当時上野動物園の飼育係長だった小森厚さんが書くことになっていた。どの動物を取り上げるかのプランも小森さんに依頼してあった。小森さんは後に多摩動物園、上野動物園の飼育課長をされた方だ。朝日小学生の編集長から、写真の取材については小森さんに万事お願いしてあるから、とにかく上野に行って小森さんの指示にしたがってくれと言われた。

 動物園へいって撮影をすると言ったら、出版写真部の先輩方がいろいろ教えてくれた。どんなレンズとカメラを持って行ったらよいかとか、食事時間しか顔を見せない動物がいるから飼育係に食事時間を聞くと良いとか、なかにはオリのそばに近づきすぎると帽子を取られるから注意をしろなどというご自分の体験からの忠告まであった。

 撮影の用意をして、上野動物園に出かけた。小森さんに会って10件ほど撮影プランを書いたメモをもらった。すごく難しそうなことが書いてあったのでそのとき、じつは今まで一度も動物の写真を撮ったことがない。動物園に来たのもはじめてですと言ったら、とんでもない新米カメラマンがきたと思われたのだろう、ちょっとあきれたような顔をされた。

 知ったかぶりをするよりは、正直にこちらの手の内、内情を話したほうが良いと言うのが、当時教えられて私の処世訓になっていたから、それを実行したまでだが、小森さんにしてみれば頼りないカメラマンで動物の写真が写せるのかと心配だったのだろう。そのおかげか小森さんには撮影にあたって親切にいろいろ世話をしていただいた。

 最初に撮影したのがゾウだった。小森さんはゾウの足の裏を撮りましょう。ゾウの足の裏はあまり見たことがないはずですと言ってゾウ舎まで連れて行ってくれた。ゾウの檻に3、4人の飼育係の人と入った。

 小森さんは、ゾウはおとなしい動物ですから近寄って大丈夫ですと言って、1頭のゾウの前足を上げさせた。動物園の撮影では望遠レンズと考えていたのに標準レンズでの近接撮影だ。足の裏が身体の影になって具合が悪いなと思ったら、小森さんがすぐこれを察して、ゾウの向きを変えてくれた。足首が真後ろに向いているからカメラポジションはゾウのお腹に近寄らなければいけない。

 身体に寄りかかっても大丈夫ですよと言われ夢中で撮った、気がついたら完全にゾウのお腹に寄りかかっていた。この頃は、チェンマイあたりの観光旅行でゾウに乗ったことのある人がたくさんいる時代だから、別に珍しくもない話だが、当時は撮り終わってびっくりだった。

 そんなことで動物を撮ったことがなかったのに、いっきに動物写真の世界に飛び込んでしまった。撮影体験談を書くのが目的ではなかったのだが。当時は動物写真を撮るのがかなり難しかったことを伝えようと思ったのだ。

 動物の部分を撮るのは小森さんにお膳立てをしてもらうので何とかなったが、動物の全体像を撮るのが意外に難しかった。まだ一眼レフの無い時代である。最初のころ一番使ったのはニッコールの180ミリF2.5というレンズが発売されていて、これはニコンSにレフボックスをつけて撮るようになっていた。

 レリーズがついていてシャッターボタンからレリーズが2本に分かれ、1本はシャッターボタンを押し、もう1本はレフボックスのミラーを上げる仕掛けだった。このレリーズは重くかなりの力がいった。

 上からのぞき込むファインダーは暗く、しかも写る像は一眼レフカメラのように左右正像ではない。動物を追いかけるときも見えている画像の反対方向にレンズを向けなければいけなかった。しかもこのレフボックスはヨコ画面の写真を撮るようにできたいたから、これでタテ画面の写真を撮影するのは大変に難儀だった。

 キヤノンの100ミリレンズをキヤノン4sbにつけて撮影することも多かったがピントが合っているのは、現像してみると10枚に1枚くらいしかなかった。この連載のはじめのころ書いたが、動物園の仕事をはじめて1年ほどたって一眼レフカメラ・ミランダを使うようになった。ニコン、キヤノンの一眼レフがでるのは昭和34年だ。

 今年は全日本写真連盟・東京がコンテストで多摩動物園をテーマに取り上げたものだから、毎月の月例会で動物園で撮影した動物写真をたくさん見ることになった。皆さん上手いものだ。焦点はしっかり合っているし、表情なども克明にとらえられている。動物写真ははじめてですという人の写真が、50年前私が撮った動物写真よりはるかに上手いのである。

 朝日小学生の動物写真はたしか2年くらいつづいた。朝日小学生を見てくれる人はあまりいなかったのだが、社内で、あれは面白いと声をかけてくれる人もいた。掲載が終わったときか、まだ掲載中であったかはっきり覚えていないのだが、アサヒカメラの編集長が君の動物写真をアサヒカメラに使いたいと言ってくれた。

 カメラに掲載された動物写真の評判が良かった。それでいつの間にか動物写真家にされてしまった。動物写真家のグループが出来たときで誘われてこのグループに入った。メンバーには田中光常氏、長野重一氏、東松照明氏などがいて全部で6、7人だったと思うが記憶がしっかりしない。

 昭和33年に東京創元社から日本写真全集が発刊された。第8巻が動物作品集でこのなかに私の撮影した動物写真が4点掲載されている。全部モノクローム写真だがこの写真を今見ると誰にでも撮れそうな写真で、恥ずかしくなってしまう。

写真説明
(1)現代日本写真全集第8巻 『動物写真』創元社 1958年12月刊
(2)写真全集に掲載の『クモザル』巻末のデータを見るとマミヤフレックス(2眼レフ)ニッコール75ミリで撮影となっている。当時動物園で2眼レフカメラを持って行った記憶があまりないのだが、間違いないだろう。