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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

35ミリ広角レンズ
 昔は、雑誌などの企画でたびたび「無人島に持って行く1冊の本」というアンケートの回答結果を掲載していた。この回答だが欧米人はバイブル(聖書)1冊を持って行くという答えが一番多いそうだ。ずっと以前に見たアンケートでは六法全書とか広辞苑という答えが結構たくさんあった。

 人気テレビドラマのプロデューサーであり小説家でもある久世光彦さんが書かれた向田邦子さんへのオマージュ(讃歌)「触れもせで・向田邦子との二十年」講談社文庫のなかに、あるとき雑誌から無人島に持って行く1冊の本のアンケートを求められ、漱石の「我が輩は猫である」と答えをだしておいたら、向田さんも「猫」と同じ答えをしていた。

 というのを読んで、もう50年くらい前だが、カメラ雑誌?(写真雑誌だったと思う)が「無人島に持って行く1台だけのカメラとレンズ」というアンケートを、プロカメラマン100人くらいに設問していたのを思い出した。

 このときの結果をはっきり覚えていないのだが、木村伊兵衛さんがライカに50ミリレンズと答えていたのははっきり記憶している。ドキュメント系のカメラマン、報道写真家たちの大部分が35ミリレンズをあげていた。

 一眼レフ時代になる前だった。レンジファインダー・カメラの時代である。カメラ・ボディは木村伊兵衛さんはライカだった。ほかの写真家たちはニコンSとキヤノンで二分されていたのを記憶している。

 2005年の現在、こんな設問はどうも意味がないようだ。秘境も未開の無人島も少なくなってしまったのと、一眼レフ、ズームレンズの時代だから、焦点距離何ミリのレンズを持って行くといっても興味を惹かない。

 しかも現在は銀塩カメラからデジタルカメラへの時代だから、とんだ、ちんぷんかんぷん(珍紛漢紛)な質問ということになってしまいそうである。無人島には電気はない。電池の充電は出来ないだろうし、電池だってすぐなくなってしまうだろう。

 デジタルカメラは使えないなーと思うと同時に、今の時代なら無人島に電気を持って行くことを考えるのだろうなどと考える。パソコンなしの世界はあり得ないと思っている人が一杯いるのだ。一方電池の類は一切つかわない機械的動作だけのマニュアルカメラは大したものだと思えてくる。

 その問題は別にして、当時はそのアンケートを見て、自分が1台だけ持って行くとしたら、35ミリ広角つきキヤノンだと考えていたのを思い出す。キヤノンIVsbを使っていた時期だったのだろう。キヤノンに35ミリレンズをつけて撮る写真が雑誌の仕事では一番多かった。

 入社して最初の取材出張が三宅島だった。先日、テレビのニュースで三宅島村民の帰島の様子を見ていると港の桟橋には大型船が着いている。50年前には200トンほどの小さな汽船の船倉に貨物と一緒に乗っていった。海が荒れていて岸壁に着けず、艀に乗り移って上陸した。

 テレビ放送がはじまって2、3年の時代だった。東京から180キロ離れてもテレビが見える。というテレビメーカー、アンテナメーカー?の宣伝実験の取材であった。

 そのとき、どんなカメラ・レンズを持って取材に行ったかどうしても思いだせない。入社して間もなかったが、キヤノンのIVsbをすでに買っていたはずだ。このキヤノンは50ミリレンズつきだったがこの取材のためにライカの35ミリ・エルマー・レンズを借りて行ったと思う。あるいはライカD3に広角をつけた写真部の備品を借りて行ったのかも知れない。

 三宅島の小学校の講堂で、はじめてのテレビを見に集まった人たちを撮ったのは広角レンズだった。これが掲載されたアサヒグラフは現在、手許にないので、うろ覚えの記憶なのだが、初めてのドキュメント取材であったから、やたらとたくさん写真を撮った記憶だけが残っている。

 この取材で撮った写真の大部分は広角35ミリレンズであった。このとき以来、私の取材では35ミリレンズが一番、活躍することになる。

 在社中のことを考えてみると、35ミリレンズに関してだけは、一眼レフカメラをあまり使わなかった。昭和30年代後半にはほとんど一眼レフ時代になっていたが、取材では必ずレンジファインダーカメラに35ミリ広角レンズをつけた1台があって、それを補助するように一眼レフカメラ・ニコンFを持って行った。

 メインカメラはずっとレンジファインダーカメラに35ミリレンズをつけたものだった。この連載の初期のころにも書いたが、初めのうちは35ミリレンズをつけたメインカメラはキヤノンIVsbであった。

 途中、キヤノンからニコンに代わった。昭和35年頃、社からニコンS2が支給されこのカメラに35ミリレンズがついていたからだ。思い切ってニコンに代えてみるとファインダーはニコンのほうが見やすかった。そんなことでこれをメインに使うようになった。

 10年近くニコンS2とS3に35ミリレンズをつけて使った。昭和40年代初めに海外取材に行ったとき、ライカのM4をズミクロンF1.4、35ミリレンズつきで買った。このカメラが30年以上常用カメラ、レンズになった。(注)

 35ミリ広角レンズが常用になったのは、人物を対象に撮るとき、人物との距離感覚が一番ぴったりとしたからだった。望遠レンズで撮影するのとは違って、人物の背景に取り込まれる情報量が違った。

 広角レンズに関しては一眼レフカメラをあまり使わなかった。海外取材などでカメラなどの重量が重くてどうにもならないときだけ一眼レフ用の広角レンズを持って行った。ズームレンズをつかうようになるのは80年代後半になってからだ。

 35ミリレンズつきカメラの使用年数が一番長かったのは、ライカということになる。雑誌の仕事を離れて、写真学校の講師になってからもライカM4、35ミリつきをいつも持ち歩いていた。

写真説明
ライカM4につけて使ったズミクロンF1.4、35ミリレンズである。このレンズは絞り開放では、ピントがあまく使えなかったが、一段以上絞るときれいな描写をした。M4とこの35ミリレンズのコンビが使用期間が一番長かった。

(注) ズミクロン(Summicron)ではなくズミルックス(Summilux)という訂正が次号でありました。