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プロセスは重要ではない


山田久美夫さんは、早くから作品制作にデジタルを利用してきた写真家のひとりとして広く知られている。そこで、作品制作において、デジタルとどうつき合っていけばよいのか、お話しをお伺いした。

山田久美夫さんの作品は、truthでご覧ください

編集部(以下編):まず、山田さんが作品制作にデジタルを利用し始めた時期を教えて下さい。
山田久美夫(以下山):そうですねぇ、4年くらい前からでしょうか。実際にはMacintoshを使う以前に、カラーコピーを使って、変形や大幅な色補正といった実験的なことをいろいろやっていたのですが、自分が指向する世界はこれじゃないと思いました。実験としては面白いですし、最新テクノロジーという意味でも興味はありましたけど。ですから、4、5年前にMacintoshを本格的に使い始めてからは、作品作りとして、機をてらったような実験的なものはほとんどやっていません。本人は、カラーコピーの時代に卒業したつもりなんですけど・・・。
編:明るい暗室ということでしょうか。
山:そうですね。モノクロの場合、写真家はシャッターを切る際に自分の意図を活かし、さらにプリントの段階でも自身のイメージを含めます。それをカラーでやろうとすると、時間や技術や、最近では場所の確保もままならないでしょう。カラーの場合、シャッターを切った瞬間が全てだという捉え方をされがちですけど、決してそうではないと思うのです。素晴らしいイメージを持っていても、従来ですと、時間がない、場所がない、などの理由で表現できなかった場合もあったでしょう。デジタルを利用することによって、それを表現することができるのです。
編:私も、重要なのは作品であって、プロセスではないと考えています。アナログで100時間かかる作品を、デジタルで1時間でやってどこが悪いのか、とね。
山:写真家は、シャッターを切る瞬間に全力を尽くします。それでも再現できないイメージを再現するのにデジタルを利用する、ということです。
編:山田さんの発表されている作品は、デジタルっぽくないですよね。モノクロもありますし。
山:あれは、元はカラーですが、デジタルを利用することによって、自分の意図したモノクロイメージを作り出したものなのです。カラーポジが持っている色情報を活かせますので、今までにはないモノクロ表現が可能です。やってることはデジタル処理ですが、結果は全くデジタルっぽくないでしょう? 最終的な出力が、いかにもデジタルだな、ということになれば、それは失敗だな、と考えています。
編:今後、作品制作にデジタルはどのように入り込んでくるのでしょうか。
山:通常の銀塩処理では越えられない、または、越えにくい壁を打ち破るものになっていくのでしょうね。
編:そうやって処理されたものは、果たして写真なのでしょうか。
山:それは、よく聞かれる質問ですね。私の場合は、写真展、という言葉は使っていないんですよ。作品展、という言葉を使っています。イメージが再現されれば、それでいいと思います。写真と呼ぶ人があってもいいし、写真以外のものだと捉えられても構いません。重要なのは、作者の意図、イメージでしょう? 僕にとっては「作品」です。
編:デジカメも含めて、今後のデジタル界はどうなっていくのでしょう。
山:デジタルであることが表に出ているうちは、まだ文化として定着していないと言えるでしょう。デジタルが、道具ではなくて目的になってしまっているケースが多いと思います。さぁデジタル処理しましょう、ということではなくて、作品を得るためのひとつのプロセスとして利用する、ということにならなければ。
編:最後に、何かひとことお聞かせ下さい。
山:モノクロプリントは、プリントの段階でもイメージを塗り込めることができましたが、カラーの時代になって、写真家はシャッターを切るだけ、あとはラボ任せになってしまっています。確かにそれもいいのですが、もっとクリエイティブする楽しさを、普通の人が味わう事が出来るようになったということは、この先が楽しみです。明るいカラー暗室というものは、クリエイターの様々な制約、例えば、場所や薬品廃棄問題などを、開放するものになるでしょうから。
編:まさに、その通りだと思います。今日はお忙しい所、ありがとうございました。


Reported by AkiraK.