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第7回
長倉洋海

写真界の巨匠に、写真を学ぶ若い人がお話を聞くコーナー! 第7回は、長倉洋海さんです。

質問 最初にカメラを持った動機を教えて下さい。
長倉 カメラを手にして撮ろうと思ったのは大学3年生の時でしたね。大学3年の時大学を一年休学してアフガニスタンに行ったんです。一眼レフと望遠と広角レンズを持って。帰ってきて通信社の人に写真を見せたら、「うまいと!」言われたんですね。褒められたので、その時に「才能があるかもしれないやってみよう」。写真集をいろいろ見たりして、大学では探検部と写真部と両方に入って、引き伸ばしとか現像を憶え、将来写真の仕事をできたらと思っていました。図書館で写真集を見るうちに、報道写真にすごく魅かれ、さらに勉強して通信社に入ることができたんです。通信社のカメラマンを3年間やった後フリーになり、世界のあちこちに行くようになった。いまにそのまま続いているという感じです。自分では写真が特別に好きで始めたというんじゃなく、他に出来ることもなく偶然、この道に入ったと云えるんてす。高校時代にはカメラを触るということはほとんどなかったんですから。
質問 アフガニスタンに3年の時行った時は写真が目的でしたか。
長倉 探検部にいたんでパイオニアワーク、人のやらないことやるのが目的で、日本ではそれまでちゃんとした記録がないアフガニスタンの遊牧民を自分がやろうということでした。その当時は本多勝一さんの「極限の民族」という本が売れていた時期で、探検部の学生はみんな読んでいたんですね。アラビア遊牧民がその中に出てくるんです。でもアラビアにはいろんな人が行ってるんだけど、アフガンの場合は誰も行っていない。その遊牧民が国境を自由に越えてパキスタンや中央アジアまで移動していくということにすごく魅かれた。遠征の報告書を書くのに文章と写真が必要なんです。ペンタックスSPというカメラを中古で買って、昔は結構名器と云われたねじ込み式のヤツです。
質問 ああ、知ってます。さっき報道写真に魅かれたと云われましたが、最初に誰か目指した人は?
長倉 ロバート・キャバ、ユージン・スミス、カルチェ・ブレッソン、デビット・シーモアとかウェルナー・ビショップ、ドン・マックリーンという人もいたし、日本人では石川文洋さん、岡村昭彦、沢田教一、嶋本啓三郎、そういう人達かな。ちょうどベトナム戦争の時代だったので戦争写真で活躍した人達のものを見ていた。でもアフガニスタンでは当初の目的を達成出来なかったのね。遊牧民と交渉しながら1年間頑張ったけど当時の政治状況がすごく悪くて、彼らは外人を入れるとスパイに間違えられたり、自分たちの生活が官憲とか兵隊にされるということだったんです。本来自由だと思っていた遊牧民も政治に縛られていたんですね。結局僕は受け入れられなかったんだけど、帰国後考えてみるともっと居てもよかったんじゃないか。騙されたり、約束して彼らはそこに来なかったり、そういうことを繰り返しながら、1年経って遊牧民が受け入れてくれないんだからしょうがない、という風に自分を無理矢理納得させて帰ってきたんです。悔いが残ったんです。
 だけど、当時のフォトジャーナリストを考えたときに、彼らはすごい戦場に立って、人の極限に近い写真を撮っているわけですよね。そしてその作品が本や新聞に載って多くの人の目にふれる。自分があそこで諦めてしまったり、限界だと思ってしまったけども、伝えるという義務感をもつことで、考えていた限界がうちやぶれるんじゃないかと思ったのです。
 報道カメラマンになろうと思ったのはそういう気持ちもあったんです。自分が一回1年間行って自分なりに夢がうまくいかなくて、挫折して“この程度なのかオレは”という気持ちがあったけど、もっと出来たんじゃないかという気持ちがもう一回湧いてきたのです。
 それが今も続いている訳です。旅のシンドさとかで、現地ではほんとうに帰りたいと思うことがあります。体の調子が悪くなって下痢が続いたり、山中で食べ物もない。カメラも重いし、こんなの捨てて帰ったら楽だと思うんですけど、学生時代と同じ気持ちの延長であれば、そこで帰ったかも知れない。旅だったらいつでもやめることもできるわけです。しかし取材で来ている以上いい写真撮るまでは絶対居るんだ、という気持ちが僕をふみとどまらせた。ここで諦めるな!という気持ち、それは今もありますよね。学生時代に報道カメラマンという生き方を知り、写真を撮るということが僕を支えていてくれるんです。
 だからみんな写真を見て“すごいですね”とか“こういうところでよく生活をしてましたね”というんだけれど、それは僕個人がそういう場所が好きで異民族と生活するのが好きというよりも、やはりいい写真を撮りたい、という気持ちがすごくあるからなんです。だから“すごい生活によく頑張りましたね”といわれるより、“良い写真ですね”と言ってほめてもらった方がうれしいです。
 今、僕の写真も少しずつ変わってきて、当初は“すごい状況”の写真があったし、そういう、新聞の1面を飾るような写真を撮りたかったんですね。戦場だったり紛争の現場だったり、普通の生活よりは激しい写真、そういうのを撮ろうと思っていたんだけど、戦場は最前線ばかりでなく、生活があるわけですよ。一番最前線は撃ち合いをしていたり、人が死んだりというところがあるけれど、それはほんの一部なんですよね。そのちょっと後ろへ下がってくると普通の生活があって、食べ物を作る人売る人がいるというような日常があるんです。
 最前線は非日常だからインパクトもあるわけ、だけどもそれを見る人が“なんか映画みたい”とか、“すごいね”とは云うけど、同じ生活のレベルでは考えることができないと考えるようになった。遠い世界のことって壁が出来てしまう。だから僕はそうじゃなくて私たちと共に感じ合えるところを伝えようと思うんです。もちろん最初はいろいろ文化が違う、言葉が違う、民族も違うんですごく違和感を感じるんだけど、長い間いるとね、彼らと共感しあえる部分っていうのをお互いに感じ合って、あやっぱり同じ人間なんだなあと思うようになります。今は戦争やっているけども、戦争終わったらこういうことをしたいとか、結婚したいとか、恋人のことを思ったりというような、僕たちと変わらない部分がすごくある、それを伝えることで壁がなくなると思ったんです。
 突出した激しい場面だけを伝えていくと、ああ外国には戦争の好きな人がいる。そんな人々は残酷だというふうに切られてしまうから、そうじゃなくて逆に僕たちの地平に引き寄せたい、アフガニスタンでは一人のゲリラ司令官である若者に密着したんです。戦場の写真よりも山の上で読書をしているマスードが好きです。“あっ戦場なのに僕たちと変わんないじゃない”というような写真に人々は驚かされるんです。よりシンパシーを、遠くの国に生きているけど、だけど僕たちと変わんない、という写真を撮りたいと思っているんです。時間が経って取材を重ねる中で変わっていったわけです。
 遠くの出来事を遠くのものとして伝えるのは簡単なんです。僕はいま撮りたいのは、違いを伝える写真でなしに違いがあるんだけども最終的には同じなんだ、そして分かり合えるんだというところを伝えたい。
質問 始めのうちは最前線に行こうと思っていて、だんだん変わっていったわけですね。
長倉 最前線に行こうと思っていた頃は自分の気持ちなんですよね。激しい現場に立ってみたいっていうか、自分の可能性を試してみたいとか、自分がどのくらい死を恐れているかを知りたい、と。自分が見えないから、自分を掴みたいという気持ちもすごくあったんですよね。極限の場に置けば自分がより見えるんじゃないか、その時僕は写される人のことは全然考えていない、自分の欲だけで気持ちだけです。だけど実際に行くと、写真を撮るというのは好きなシーンに、パッパッとシャッターを押して済むわけじゃない。知らない人がカメラを構えて目の前でバシバシ撮ったら、エッ!お前何だと云うことになるでしょ。話したり笑顔を浮かべて相手の警戒心を解くこともしなければならないし、そしてまた何度か行って、彼が何年後にどういった生活をしているのかそれをまた見たいとか、撮った写真をその人に渡すとか、そういうことをしているうちに、僕のスタイルというのかな、通り抜けるようにして被写体を撮るというより、被写体は僕と同じ生身の人間だってことを写しこみたいと思うようになったんです。そこでなにか2人の間に出来たもの、すぐにカメラを向けるんではなしに、カメラを置いておいても何かその人の生き方が見えた時にね、シャッターを切る。時間をかけて撮らして貰う、そういうスタイルがだんだん出来てきたんです。
 人によっていろいろ撮り方があるから一概にはいえないけど、僕の感じ方が写真に出ているようなものが、それでいいんだと思う。当たり前のことだけれど、写真っていうのは撮る人によって全然違う。同じ国に行って同じ頃そこにいても違う。その人が何に関心を向けるのか、興味が魅かれるのかで全然違いますよ。兵士の厳しい眼を撮ろうとする、あるいは銃、軍靴とかそういう戦闘らしいところを撮ろうとする人もいれば、その兵士の後ろに子どもがいてその子が怯えた眼でみている、それを撮ろうとする人もいるだろうし、戦場でもさっき云った普通の生活があって、それを撮ろうとする人もいる。その人の生き方とか見方とか、人生そのもの、世界そのものに対する認識、人間に対する視点というものが写真に出るよね。
 僕はまず人を感動させる写真を撮りたいと思ったわけですよ。写真を始めた頃、いろんな人の写真を見て感動したんです。だから僕も写真を撮るってことは人を感動させなければと思ったのよね。だけど時間を経るごとにいい写真というのは、自分がそこに行ってまず感動しなければ僕自身シャッターを切れないし、人に感動を伝えることは出来ない、と思うようになったんです。
 最初は自分だけが感動しているんです。だけど、プリントすると全然そこに感動が写り込まれてなくて。それは自分の技術というか、写真の撮り方が悪いのだと思いました。自分の感動を映像に残すというのは難しい。時間もかかる。でも、自分の視点が固まってくれば、それも乗りこえられると思います。
 僕の場合は人間というものに魅かれる、学生時代にどういう写真に感動したか見返してみるとやはりそこに“人間”が写っているんです。人間の在りようというのか、姿、そして僕たちが日々の生活の中で見落としていたり、日々の中で感動が薄れて生活に流されてしまっているから、いつも楽しそうに幸せそうな顔をして歩いているって人は少ないと思うんだよね。厳しさの中でも。だけどその中で強く、人間って一体なんだろうと考えさせるような写真、人間というのはこういう風に生きれるんだ、とか、こんな風に美しい皺を刻んだ人もいるとかね。ふだん何気なく流されていて見落としがちないろんな人間の姿を、僕たちに再認識させるような、唸らせるような写真、それがいいな。昔自分が写真に感動したのはこうゆうことだったのかな、と思うようになったんです。
 何に向かってシャッターを切るのかということはすごく大切なことなんですよ。人にあるていど感じて貰うには、人に共通する部分に訴えかけるものがないと、人間の様々なもの、欲望にしても、優しさにしても数量化されないもの、それを僕は写真で撮りたいんだ。戦場であるにもかかわらず、若者が山の上で本を読んでいたり、子どもを抱き寄せる場面は、戦場なのにオレたちと変わらないじゃないか、シンパシーを抱かせると思うんだ。そんな気持ちは彼らと裸でつき合わざるを得ないところから生まれたのです。
 大新聞でもないし、日本政府の代表でもなくて、カメラをもった一人の人間でしかないのですから。人に向かい合った時、そして、取材を重ね時間をかけるごとに彼らは心を開いてくれて、その彼らと共振し合えた部分を日本に伝えることが出来るようになった。その時ニュース的な表面を切りとるインパクトを狙った写真ではなく、同じ人間だと感じ合える映像がほんものの写真なんだと思う。
 便利さや安定さから遠い辺境や戦乱の中を生きる人々は、“生きること”の輝きを強く持っています。僕たちがこれだけ物があってもなかなか幸せそうに思えないのとは逆にね。彼らの置かれてる状況は僕らからすごく厳しそうに見えるから僕たちは悲しみやつらさばかりを予想するけど、逆に、逆境をはねのけようとする力とか、明るさをもっています。それがなければ生きていけない。それは今の日本にないものなんですね。
 すごいいい表情をしていて、生きてるって感じがあるんです。それは彼らの誇りであり、生きる支えであり、気高さだったり、そういうものに僕は魅かれるんです。だからそれを撮り、見る人に感じて貰いたいんです。
質問 私達は差別意識というか、優越感を感じることがあるのですが、NHK教育テレビの“辺境から現代社会を照射する”を見て長倉さんは違うなと感じたのですが。
長倉 人と出会うこと、違う文化と出会うことというのはね、逆にいつも自分のところに返ってくる。あのテレビのタイトルはアマゾンを見ることは実は日本を見るってことなんです。僕がこれまで行った地域はすべて辺境なんですよ。辺境とはどういうところかというと、中央の文化に染まっていないところ、今の世界では、経済的に効率のいいところが中央。文化の中心じゃなくてね。東京にいるといろんな会社が物を作ってるし買う人も沢山いる。新幹線がすべてここから出ているとかね。いろんな僕の行った地域というのは資本主義から見放されている、儲からない訳です。戦場に何か造っても壊されるし、アマゾンの奧にマクドナルド開いても大変だし、経済効率悪いわけ。だけどそういうところにこそ、中央の文化に染まっていない人々の豊かさみたいなものがはっきりとあるんですね。
 僕たちはすべてを数字であらわしたり、効率を第一に考えるけど、その点でいくと辺境は一番遅れた地域となります。が、そこに素晴らしい人間がいたり、幸せを感じている生きたでいる人がいる。そして欲望にはふりまわされず、先祖からの知恵や伝統を守り、ゆったりと生きる人々がいた。それは数字では測れない心の豊かさでもあるんです。戦場で中央の文化が及んでなかった分、戦いやその生活を支えてきた心の芯みたいなものがある。我々がもっていない辺境を見ることで、我々の日本がみえてくる。それがあのタイトルになったわけです。
 今ペルーに400人も報道陣が行っていて、ニュースを刻々と伝えているんだけど、僕らのところに一つ何か迫ってこないよね、フォトジャーナリストにもいえるんたけど、自分がそこに魅かれ苦労してたどりついた現場で、如何に日本の人にそれを感じて貰えるかという努力をしなければと思います。ただ行って伝えました、こうなってますっていうのは、誰にも出来るんですよ。優れたフォトジャーナリストというのは、そこで距離の違いとか壁を乗り越えて、ぐっと僕たちに迫ってくる何かを見つけ、それを軸に伝えることができる人だと思うんです。
 だから写真界の名作とかほんとうにいい写真というのは、生々しい衝撃で迫るものではなく、僕たちの深いところで人間を見せ、心の奥の琴線を震わせるような写真だと思うんですよ。
 古い写真を見るということは、単に昔の人間を見るんじゃなくてね、そこに映像としてしっかり写し込まれている人間の姿を見ることなんですね。
 例えば北米インディアンのいいポートレートが沢山残されています。そこにはやはりインディアンの誇り、気高さみたいなものが、毅然とした姿がしっかりと写っていて、彼らの歴史的な環境だけをみていくと、白人に殺されて土地を奪われて、居留地に押し込められた、ということになってしまうだろうけど、写真には、彼らの誇りが写されている。それは写真の力だと思います。
 僕の場合、写真というのは自分を表現したり可能性を広げる道具であったし、途中からは様々な人に出会う道具になったわけです。というのは人と出会うってことはけっこう鬱陶しいことじゃないですか、イヤな思いをするときもあるでしょう。だけども、人間の写真を撮るということで、その臆病を乗りこえることができた訳だし、カメラを媒介にしていろんな人と出会うことが出来た。写真というのは生きる上での最高の道具だと思うんですね、僕にとって。
質問 よくわかります。写真をやる前、外との、社会との関わりというのが抽象的に勝手に思いこんでる部分で周りの現実があったわけですけれど、写真始めてから街に出るとジカに反応があるし、ジカに接しなければいけなくて、課題を持って東京の街をブラブラしていると、ふだんは何気なく思っていたものが、僕にとってきついんですね、受けるものが。それって何か幸せだなと思えるようになりました。
長倉 そうだね、何気なく見過ごしていたり意識しなかったものが、写真というものを媒介に全然違う、すごく迫ってきたり深まるということがあるよね。
質問 お使いの機材について教えて下さい。
長倉 今まではニコンのFE2というのが多かったですね。軽くて良かったんですが、最近ではキヤノンのEOSも買ったんですね。これは一回アフガンで使って、今度も使おうと思ってます。
質問 デジタル写真についてどうですか。
長倉 今のネガの形が続くのならそれで撮りたいと思っています。それが市場になくなってデジタルだけになれば仕方ないけど、今ある形でずっとやっていきたいと思います。表現が全然違うということじゃないから。僕は今までのネガとポジの方法がいいと思います。カメラは道具だからどんな便利なものすごいレンズやカメラを持っていても、撮る人の眼、何にシャッターを押すのかという視点がないとダメです。
質問 最後に現存の写真家で誰を尊敬しますか。
長倉 昔はいろんな人の切り抜きを貼ったり目標にしている人は沢山いたけど、それは自分に刺激を与える意味で好きな人を設定していく、今考えれば自分のスタイルがなかったから、自分のスタイルを創ろうとしていろんな人の写真を見て刺激を受けようとしてきたんですね。最近は17年間やって自分のスタイルがおぼろげに見えてきたので、今は人を見て比較とか刺激を受けるんじゃなくて、眼が自分の中に向いてきた、と感じるんです。好きといえば、日本では濱谷浩さんが好きです。他では最近ケルテスの写真はいいな、と思いますね。若い頃はもっと激しい写真が好きだったんです。ケルテスはそんなに激しい写真じゃないけれど、彼はあの時代に写真のいろんな表現を創り上げている。それを超えるものは少ないと思うんです。人を暖かく捉える、なおかつそれが彼独自の映像の力によってしっかり捉えられている。濱谷さんの“裏日本”や“雪国”の写真はいいですね。時代を超えて生きている人の生活が見えてくる。東松さん、長野さん、江成さんの写真も仕事としては好きです。瞬間を写しているんだけど時代を超えて残っていく、それが写しこまれている写真というのに僕は感動しますね。
本誌 どうも有り難うございました。


インタビュアーの感想

 長倉さんとお会いしてお話しを伺い、今まで見た長倉さんの写真から受けたイメ−ジそのままの人というふうに感じた。人間に対して、写真に対してとても誠実な人だと思った。フォトジャーナリズムという言葉が冠せられることによって、イメージとして政治的なメッセージや、スクープ性がつきまとってしまう。長倉さんとのお話しにも多少なりともそういった話しになるのではないかと思っていた。何故撮るのか?撮らねぱいけないのか?という写真という行為に対して自分がいろいろと思いを巡らしていたということもあって、写真を撮り表現するという行為はなにか明確な意図の下に撮らされるものではと考えていたところだった。お話しを聴いて、長倉さんが写真とはあくまでも道具であってそれは自分と人間や出来事を結び付けてくれるものだと言っていたのがとても印象的だった。純粋に写真を撮るという行為を、自分のなかで忠実に求め続ける長倉さんの姿勢にはたいへんひかれる思いがしました。

東京総合写真専門学校
橋本 弦

 カメラ又は写真、そしてそれによって切り取られ印画紙上に浮かび上がるイメージ。長倉さんの話を聞いていて、それら自体が決して先行した形ではない撮影行為というものが強く感じられた。あたり前のことだがそれらは結果である長倉さんにとって自身の姿勢や世界との関係に於いてあとからついてくるものであったり、助けてくれる道具であるのだろう。「写真がそれほど好きだというわけではなかった」という言葉から、自身にとっての写真あるいはカメラというものが伺えたような気がする。それとともに、エル・サルバドルやアフガニスタンなどからの報告に見られるような眼差しはとても貴重なものだと思う。それらは手垢のついたプロハガンダ映像や結果的にそうなっているものとは異なった見方を強いる。かといって事実と非難しているわけではなく、それ以上のものを伝えてくれる。学ぶべきものが多くありました。

早稲田大学政治経済学部2年
鈴木良(早大写団シャレード所属)
このコーナーでは、インタビュアーを募集しています。詳しくは編集部まで

Reported by Hiroshi Tani.