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第2回
芳賀日出男

写真界の巨匠に、写真を学ぶ若い人がお話を聞くコーナーです。第2回は、お祭りの写真で世界的な有名な芳賀日出男先生です。

新藤祐一(以下新):はじめまして新藤ともうします。よろしくお願いします。早速ですが、祭りの写真を撮りはじめたきっかけからお聞かせ下さい。
芳賀日出男先生(以下芳):私が撮っている写真でも、祭りはその一部分でしてね、民族というものを撮っているんですよ。民族の儀式とか行事とか、そういうものとして祭りを撮っているのでしてね、民族衣装も撮るし民族楽器も撮ります。皆さん華やかなので祭りの写真ばかり使ってくれるんですが。(笑)主に日本を撮っていますが、日本の輪郭のようなものを知るには、やはり外国に触れることが大事だということで、外国に取材に行くこともあります。外国に行くと、こんなところが日本と共通しているのか、こんなところが日本と違うのかとか、そういうところを考えながら撮っています。
新:では、民族を撮られるきっかけというのは?
芳:好きだからですよ。もうそれ以外何でもない。人が集まってくるところが好きなんですよ。写真は子供のころから好きでした。小学校3年生くらいの頃からですね。その頃は写真機ではなくて日光写真ですよ。よく縁日なんかで売っているものを買ってきてね、自分で薄紙に墨塗ったり青写真を張ったりしてやってましたよ。
編集部(以下編):押入の中にこもったりしてですね。
芳:そうそう。そのうちに誠文堂新光社からでている「子供の科学」という雑誌を読みましてね、それにピンホールカメラの記事が載っていて自分で作りましたよ。ボール紙に穴を開けて、露出は印画紙だったから10分ぐらいかかったかな。とにかく好きだったな。そのうち大学に入りましてね、もう勉強しなくても良いから写真ばっかり撮っていました。ただね、いくら勉強しなくて良いとはいえ、学生だから授業には出なければいかん。それで、授業に出てて何のことは分からなかったけれど真剣に講義を聴いたのは折口信夫という人の授業でしたよ。
新:民俗学の大家の。
芳:そう。当時は民俗学と言うよりはむしろ国文学のひとでしたけれどね。その時折口さんの言った言葉のひとつが、私の心を捉えたんです。「人間の心にあることは、必ず動作に現れてきます」という言葉でした。ですから、神なんていうのは目に見えないものだと思われていますが、現実に神が目の前に現れてくる儀式や祭りだとかいうものはあるんですよ、なまはげもそのひとつですよと言うわけです。二年間講義を聴いていましたが、聞いているうちに「ははあ、これは写真になるな」と思いましたね。

新:その神様というのは?
芳:日本の神様というのはね、年の変わり目に現れてくる。正月とかお盆とかね。正月に現れるのは我々にその年の恵みを与えてくれる。秋田県で言えばなまはげがそれですよね。鹿児島県では、としどんという形で現れているし、沖縄ではまゆんがなしというのをやる。そういうのが、日本に70カ所くらいありますよ。各地に点々とね。それから、お盆の時になると、祖先の霊が現れれてくる、それを迎えるために祭壇をこしらえ、そして待ってると、そこに盆踊りの行列が練り込んでくる。そういう風な、祖先を迎える儀式がある。そういうものを撮っていると、目に見えないと思っていたものが、ある時に限って現れて来るんですよ。それをだんだん撮り足していって、今日まで続いているんです。僕が折口信夫の話を聞いていたのは、昭和17年ぐらいです。その頃はまだ折口さんの学説は定説になっていなかった。折口さんは昭和28年に亡くなったんですが、来訪神の信仰という折口さんの説は定説になっていますね。
新:目に見えない神様というものを撮るのは、他の被写体と違って大変難しいのではないかと思うのですが?
芳:いや、目に見えなかったら撮れないよ。東京の人とか、その場にいない人には分かり難いだろうけれど、その村の人々は何百年も見ているわけだから、その人たちは良く分かっているよ。その人たちの気持ちにこっちがなれるかだよ。
新:その人たちの立場になって考えるんですね。
芳:そうそう。だからいきなり行っても、なんのことだか分かりませんよ。仮面付けた変なのが踊ってるなというくらいにしか理解できません。でも、
撮っていくうちに、段々分かってくるんですよ。例えば、日本には能という古典芸能がありますが、何もお面をつけずに出てくる人と必ずお面をつけて出てくる人がいる。何もつけずに出てくる人はワキの役をする人だけれど、お面をつけて出てくる人は、神や精霊だとか鬼の役をするわけです。だから、お祭りの中でも、仮面を付けて出てくる人は、大抵普通の人の役ではない。それは日本人だけではなくてね、パタゴニアでもヨーロッパでも中国でもみなそうですよ。

新:いろいろ、はじめのうちはご苦労があったのではないかと思うのですが?
芳:いや、全然苦労だと思わなかった。昔のことだから寝台車なんて無いからね、三等車に乗っていってね、向こうに着いても宿屋なんてないし祭りは徹夜でやるから、40時間くらい寝ないでいたこともあったな。祭りというのは、その場所を離れたらダメだから。そうしていると村の人が気の毒に思ったのか、ちょっとうちのところに来て寝ないかとか言ってくれるんだ。それでね、まだ最初のうちは泊まってしまったりしたんだけれど、そうしているうちに良いところが終わってしまって、また来年行かなければならなくなる。そうこうしているうちに学んだことは、なんとしてもその場所は離れないようにする事。そして早くその場所に着いて、決して迷惑にならないようにしている事。
新:それが先生の極意ですね。
芳:ええ。やっぱり、早く行って向こうにも向こうにこっちのことを知ってもらうことが大事だね。こっちは自分の好きなものを撮るんだからいいけど、向こうにしたら異物が勝手に来るわけだからね。早めに行って挨拶したりするのももちろん大事だし、ここにいても不思議ではないと思われるくらいのスキンシップというか、交流がなければだめだね。祭りをやっている場にいきなり飛び込んでいってバタバタと撮影していては、追い出してやれということになるのは当然ですよ。それが、祭りの前から来ていると、段々気心も知れているし、一緒にお酒も飲んだりもするからね、「おい、ここ撮らせてやるよ」ということになるんだ。祭りと言うのはね、こっちが撮っているうちは良いものが撮れないね。向こうの人がここを撮れあそこを撮れと、言ってくれるようにならなければいいものが撮れないよ。他の写真でも同じだと思うけれど、例えばモデル撮影なんかでも、モデルとけんかしちゃあ撮れないもんな。やっぱり篠山紀信さんみたいに篠山節で話していって相手をいい気持ちにさせてやらないとね。まあ、でも相手とはつかず離れずでなければいけない。握手はするけど接吻はしないんだよ(笑)そこは大切なんだな。一線を越えるとね、向こうの祭りは撮るなとか、そういうことになってしまう。
新:やはり自分でセーブしていかれるわけですか。
芳:そうだね。まあ、全ての写真に共通することだと思うよ、それは。

新:海外の場合は、言葉の問題や習慣の問題があるので溶け込みにくいのではと思うのですが。
芳:海外と言っても色々な国があって、溶け込みやすい国もあれば溶け込みにくい国もありますし、歓迎してくれる国もあれば歓迎してくれない国もあります。ただね、祭りに関しては、外国人が撮りに行って歓迎してくれるのが80%くらいじゃないかな。ただ、イスラムは難しい。その他は大体大丈夫だよ。
新:その際溶け込んでいくコツというのは。
芳:どこでも寝れること、何でも食べることだよ。
新:なるほど、一緒にご飯を食べるわけですね。
芳:そう。相手に出された物は全部食べる。よく、海外旅行を安く上げるコツはなんですかと聞かれるけれど、どこでも寝れること何でも食べられることに尽きるよ。でも、日本でもやってなければだめだね。日本では良い宿に泊まるのに外国では安くあげようと思うから無理なんだ。
編:外国で、そこら辺で寝ていては危険ではないですか。
芳:もちろん危険な場所もありますから、そういうところではそんな事しませんよ。
新:危険な目に遭われたことは?
芳:うーん。あんまりないねえ。僕はいつも注意していますから。
新:カメラは大丈夫ですか?
芳:必ず裸にしないようにして、鞄の中に入れておきます。あと、フィルム交換の時が危ないね、いきなりぶつかってきて、アッという間に取られたなんて人いるからね。だから、フィルム交換するときは、壁などの隅に背を向けるようにして立ってね、背後を取られないようにして交換します。

世界の祭りにおける共通点(なまはげなど)


新:海外のお祭りと、日本のお祭り、共通点のようなものはあるのですか?
芳:まあ、海外と言っても180を越える国があるし、民族も何百もあるからみんな違うけれどね、まず考えるべき事は、日本で見られることが、海外でも当てはまるかという事だ。さっき僕は来訪神の話をしたけれど、僕は当てはまると思う。季節の変わり目に、仮面を付けた鬼がやってきて、それで子供を脅かす、例えばなまはげみたいな行事は、いくらでもあるよ。それからもう一つ、農業の始まる前の季節に、農耕儀礼をして豊作を願う。これも、例えば日本なら田遊びだとか田植えの行事ですが、韓国にも大変似たものがありますし、中国にもありますし、最近ではブルガリアにも全く同じ様なものがあることが分かった。
新:長年撮ってこられると、そういうことが自然とわかってくるのですか?
芳:うん。撮っていると、ああこれは日本の何とかと同じだとかね、そういうことが分かってくる。そうしてくると、言葉が分からなくてもね、何となく何をやっているのだかわかるようになるんだよ。もちろん言葉というのは、わからんよりはわかった方がいいよ。でも、そんなに覚えてられないからね。我々はレストランに行って靴を買おうとしたら大変だけれど、飯を食うことは同じなんだから、隣の人が食っている物を指して、「あれ」と日本語で言えば通じるんだよ。僕はね、どこの国に入るのでも2つくらいは覚えていく。一つはこんにちは、もう一つはありがとう。例えば飯を奢ってもらうことになっても「いただきます」と言えなくても「ありがとう」と言えば通じるわけだよ。(笑)僕はそうやって2つの言葉で海外に行ったけれど、日本に来ている外国人で日本語1つで全てすましているのがいた。「おめでとう」なんだよ。握手しても「おめでとう」、ご飯食べるのも「おめでとう」。(笑)これで全部すむんだよ。
新:なるほど。(笑)
芳:すごいのがいると思ったね。会っていきなり「おめでとう」と言われるものだから、なんのことだか分からなかったけれど、まあ悪い気はしないわな。(笑)

新:やはり、最初になんでもありがとうと言うようなところから始めていくというのは、日本でも共通するのではと思うのですが、日本の中でも排他的なところがあると思いますが、そこに入っていくコツのようなものはありますか。
芳:撮らせてくれないところですか?そうですね、よそから来た異分子を入れないというところはあるね。何で入れてくれないかというと、彼らにとって祭りというのは、身体を浄めて行うものですから、我々は汚れた存在なんですよ。だから、入れないというところはある。福島県にある羽山という山でやるお祭りの場合、12月の寒い時期に、30人くらいの男が厳重に「こもり」をする。どう厳重かというと、まずそれまで着ているものは全て脱いで、一枚のゆかたのような物を着てね、1日5回井戸水で身体を洗う。そして、その場で焚いた火で調理した物しか食べない。そうやって身体を浄めるわけです。それでその山に登っていってね、頂上で神あたりするおじいさんに来年の農作物はどうなるか聞くんですよ。で、僕はどうしても撮りたいと思った。それでその人達に聞いたら、良い人達でね、撮るのは構わないけれど、身体だけは浄めてくれというわけです。それで、僕も5日いて、毎日みんなと水をかぶりました。その前にもみんなと同じように2週間、家で水をかぶりましたよ。何回もやっているとね、そのうちに要領が分かってきてね。あれは頭からかぶるとすごく冷たいんでね、しゃがんで背中からちょろちょろっとやるとそんなに辛くないんだ。(笑)でもね、水をかぶるより辛かったのは藁靴だね。みんなで藁靴を履いて山を登るんだけれど、靴下なんて当然履けないものだからちくちくして痛いんだよ。それが辛かった。でも、そういうことまですればちゃんと撮らせてくれるんだよ。まあ、仕事で行くんならだれが撮るもんかと思うけれどね、自分が撮りたくて行くんだからね、いやじゃなかったね。やっぱり好きにならなきゃダメだね。あのオリンピックの選手でも、好きだからあんな特訓が出来るのであってね、好きじゃなければ出来ない。本当に、僕は寝ても覚めても好きだからね。月給貰わずにフリーで続けるには好きでなければ出来ないよ。

編:最後に、写真を学ぶ若者に一言お願いします。
芳:専門の目を写真家が学ぶと言うことが大事だと思う。たとえば石ころ一つ見ても、何にも知らなければただの石ころだけれど知識があればそれは宝石かもしれない。何か自分の好きなテーマを見つけて、それについて掘り下げていくという事、専門家に話を聞くという事、それが大事。とにかく関心を強く持って撮らなきゃだめだよ。
新:どうもありがとうございました。

芳賀日出男先生のホームページ Festivals Haga Library


写真はFujiFilm DS-7で撮影しています。