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Special

Edward Levinson



Sacred Japan - Myth or Reality?



Healing Landscapes



Cityscapes

作家の言葉
 私たちの住むこの苦しみの多い世界は、心と精神を静めるための美とイメージを必要としている。「癒す風景」シリーズは、見る人の心を開くような作品となるように努力している、私のライフワークの一連の企画である。写真家として自然の神髄をとらえるには、レンズのないピンホールカメラがもっともよい方法だと私は体験から知った。ピンホールカメラは、人が目で見ずに感知するものをとらえることができ、その写真は、生きて呼吸しているダイナミックな自然の息吹きを伝える。ピンホールカメラの長い露出による“時間変化”が生み出すやわらかなシーンは、神聖さと郷愁の感覚を呼び起こすのである。
 私は人々が、その存在のさまざまな在り様を表している心の風景を持っていると信じ、そして私の写真がその風景への飛び石としての役目となることを期待している。私は常に、寺社仏閣、家屋や田畑その他の聖なる場所にある雰囲気と活力に魅せられてきた。それらの自然に対する開放性と閉鎖性とが私の魂をかきたてるのである。
 しかしこれらの「聖なる日本一神話か現実か」シリーズは、私が出会い発見した様々な場所の単なる記録ではない。そこにいて瞑想や祈りや祭りを観察し、私自身それらを実行することによって私がどの様に感じたかを反映しているのだ。
 自然の中では私は宇宙の情感を覚えるが、都市で私を感動させるのは、人間の情緒である。
 私がピンホール・カメラで撮る「Ciityscapes(シティースケイプス)」シリーズは、私の人間観察への興味とフォトジャーナリズムの延長である。シャッターは音が立たず、ビューファインダーの技術の必要無いピンホール・カメラは、どんな邪魔もせずに私に写真を撮らせてくれる。長い露出時間は、人々と場所が時間の流れとともに作用するのを、じっくりと観察させてくれる。そうして私はいつのまにか彼らの空間へ入り込み、彼らと体験を分かち合うのである。
 建物の堅い線は、人間の柔らかさや暖かい光とは対称的に鋭くきり立つ。都市に砂漠を感じるものにとって公園はオアシスとなり、広々とした空は、コンクリートジャングルの隙間から光を射しこます。けれども都市に磁力を与えるのは、洪水をなす人間と、その思想と、そしてエネルギーなのである。
 日本の精神の曖昧な像を忠実に映し出すには、ピンホール・カメラによるおぼろげな像が適切である。ピンホール・カメラは神話と現実を融合する微妙な技法をもっているから、日本の現代と古代の伝統の神話と現実に焦点を与えるのに適切な方法であると私は信じている。

Edward Levinson, Sept. 1998

All images and text copyright 1998 by Edward Levinson and may not be used without his express permission.