後藤元洋

プロフィール

1958 神奈川県生まれ
1985 東京綜合写真専門学校研究科卒業
   PAX Gallery設立に参加
1989 FROG(Film R0und Gallery)設立に参加

個展

1985 「とにカクやぁーだもんね!」PAX Gallery(東京)
1986 「24級ハンカクあけ」PAX Gallery
   「あやかりたい」PAX Gallery
1987 「Kyu Sei Syu」PAX Gallery
   「GRATEFULDEAD」PAX Gallery
1988 「花かるたの正しい遊び方」PAX Gallery
   「ズボンしわ伸し器」YCM一LUNA HOUSE
   「MIRRORSHADES」PAX Gallery
1989 「焼きちくわ」PAX Gallery
   「後藤元洋展」FROG(東京)
   「スカ」FROG
1990 「ふた」FROG
   「GU」FROG
1991 「なちゅらるとりっぷ」MOON GROW(東京)
   「熨斗」FROG
1993 「天神さまより弁天さま、それにつけても・・・」平永町橋ギャラリー(東京)
1994 「‐self‐」PAST RAYS Photo Gallery(横浜)

【後藤元洋自筆略歴】

■1958年、神奈川県・川崎市のお大師さんの門前町に死産同然で生まれる。(そのため、身体が弱いので柔道を習う一身体への興味はこの時からだろう一)
■1962年、神奈川県・横浜市の新興住宅地に転居する。
■1980年、東京綜合写真専門学校入学。写真を始める。
■1981年、初のグループ展(「写真ごっこ」Gallery Eye Heart)にて会場に来た人と肩を組んだ写真を撮り、翌日展示するパフォーマンスを6日間行う。また、街頭にて同パフォーマンスで二百人の人と肩を組んだ記念写真を撮る。(初のセルフポートレイト的作品)同年、ネパールにて曼陀羅・タンカを観、ブッタスティックなどを体険する。
■1982年、街頭にて、「あなたウルトラマンご存じですか? 身体表現お願いします!」パフォーマンスを行い、東京における身体的ウルトラマン認識度を写真にて記録する。湯たんぽを持ち歩き、現実・時空・精神の「ズレ」を体験する。
■1983年、校内写真展で「日光写真一ナショナルキッド」にて重森弘 賞を受ける。同賞賞品で夕張(北海道)を影響する。東京綜合写真専門学校卒業。卒諭「現実とのSMごっこ」を書く。同校研究科進学。
■1984年、スクランブル交差点の真ん中、電車の中などでゲリラ的パフォーマンス・「ダイ・イン」を行う。
■1985年、同校研究科卒業。東京・目黒に友人らと「PAX Gallery」を設立(作家自身が企画運営するインディペンディトギャラリーで、オルタナティブなメディアとして展開する。1989年、閉廊)。同年、同ギャラリーにて初の個展「とにカクやあーだもんね!‐N0 NUKE!‐」を開催。身体と世紀末と核の問題をテーマとする(以後'86「24 級ハンカクあけ」PAX・'88「ズボンしわ伸し器」YCM-LUNA HOUSE・'88「MIRR0RSEADES」PAXなど)。この時より今日までずっとセルフポートレイトを発表しつづける。
■1986年、個展「あやかりたい一ノストラダムス・GOTOの大予言」をPAX Galleryにて開催。身体と精神をテーマにした教祖様シリーズを展関する。同展に、来日中の未国写真家・ROBERT HEINECKEN氏が訪れ作品を評価、個人的な奨学金を受ける。
■1987年、教祖様シリーズ第二弾「Kyu Sei Syu一ノストラダムス・GOTOの大治療」をPAX Galleryにて開催。雑誌「平凡パンチ」に「目黒にメシヤ出現」と紹介され、個展会場で大治療パフォーマンスを行う。同年、教祖様シリーズ第三弾「GRATEFULDEAD」をPAX Galleryにて開催。旧ソ連在日大使館、二等書記官が訪れ仕事の依頼を受けるが、怖ける。(旧ソ連のスパイになりそこなう)。同年、静岡市民文化会館で開催された、「写真・映像フォーラム'87in静岡」に出品するが、作品が卑猥だとして撤去される。
■1989年、スーパーマーケットの冷蔵ショウーケースの前にて「焼きちくわ」と運命的出会いをし、個展「焼きちくわ」をPAX Galleryにて開催。以後、「ちくわ」とのコラボレーション作品を製作する。同年、東京・四谷三丁目に「FROG(Film ROund Gallery)」の設立に参加する。以後、FROGを中心に個展を開催する。
■1990年、「国境を越えた一ちくわ一たち」シリーズを開始、香港で「ちくわ」をくわえたセルフポートレイトを撮影する(以後、1991年・中国、1992年・マカオ、1993年・シンガポール)。同年、M.Goto Photo Projectとして、「male self-nude photography」を企画し、FROGにて開催する。
■1991年、FROG解散。同年、アートギャラリー京ばし「贅沢な床」展にてスルメ、お麩を使ったインスタレーション作品を出し、ギャラリーオーナーに「このへん野良猫が多いのよねー」と嫌みを言われる。
■1992年、平永町橋ギャラリー「絶唱仁右衛門島・胴欲の飛沫」展の会場構成を行う。同年、静岡県立美術館県民ギャラリーで開催された「10th Photo SESSION」展にインスタレーション作品「イカれた博士の観察日誌」を出品。静岡にて、またしても顰蹙をかう。
■1993年、個展「天神さまより弁天さま、それにつけても・・・」を平永町橋ギャラリーにて開催。(ちくわのミイラを製作、セルフポートレイトと一緒にしたインスタレーション展)。同年、「ヨコハマポートサイド地区オープニング記念事業」のイベントに参加し、おじさん、おばさんには、眉を顰められ、若い子には、キャーキャー言われる。
■1994年、アユミギャラリーにてセルフポートレイト展「ナルシスの水鏡」を企画する。同年、初の純粋な写真展「-self-」をPAST RAYS PHOTO GALLERYにて開催する。同年、平永町橋ギャラリー「性の螺旋」展の企画に参加、20才前半の女性写真家の写真をたくさん見る。同年、ボラロイドギャラリーにて開催された須田一政「光の挑発」展にテキストを書く。
■1995年、関西大震災の情報をTVで知る。燃え上がる神戸市長田区の空撮映像を見て、長田区に住む知り合いの写真家・美術家が心配になり電話をかけるが不通。知りたい情報は入手できず、しかし、膨大な情報が垂れ流されていた。同年、スペース小倉屋「我盛」展にて、インスタレーション作品「オン摩尼焼竹輪蘇婆詞」で、アンデスメロンにGURUの脳波を送り高価なマスクメロンに解脱させる実験を行う。同年、須田一政フロッピー写真集「Trance Trunk」(祥林舎)に、テキストを書く。同年、ギャラリーフレスカ「Trance Underground Aquarium」展に、1996年にムルロア・ファンガタウファ両環礁で採取される巨大焼きちくわの写真を「コスモクリーナー=放射能除去装置」と共に出品する。
■1996年、墨田公園リバーサイドギャラリー「花HanaHana華」展に、「よいこの科学」を出品。90円のリトマス試験紙で隅田川の水質検査をし発表する。
■1996年8月6日(有史以来初めて核が兵器として実際に使われた日)、19時ホカリファインアートギャラリー「ちくわ 皮 耳」展にて、『ちくわのミイラ』と『豚の皮』か同一空間で有史以来初めての出会いをする。

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