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 長く広告写真や女性ポートレイトの世界で活躍され、最近も和紙などに乳剤を塗って写真をプリントされた作品を発表されたりとご活躍の藤井秀樹先生。40年近くにもわたる先生の「写真人生」を熱く語っていただきます。

編集部(以下編):藤井秀樹先生の様々な写真にまつわる話を聞かせていただき、いわば藤井先生の「写真人生」なるものをまとめさせて頂ければということで、こうして連載を持たせていただくことになりました。よろしくおねがいします。

藤井秀樹先生(以下藤):実はこの10月にも、名古屋三越で展覧会をやることになっていまして、そのために、私の撮ってきた写真を年代別にまとめてみようと整理していたところなんですよ。阪神・淡路大震災へのチャリティーも含めた大きな写真展になる予定で、藤井秀樹の集大成のようなものにしたいと考えています。そこで、この様な話を頂き、これもなにかの縁だなと驚きましたよ。

編:どうもありがとうございます。是非写真展の折りには取材させて下さい。
 さて、藤井さんの写真人生を振り返って行くわけですが、今回は第一回と言うことですので、写真を始められたきっかけなどについてお話いただけますでしょうか。

藤:僕が写真を始めたきっかけというのはね、なかなかおもしろいんですよ。
 僕が高校生の時の話なんですが、友達が口説きたい女の子がいるのだけれど一人じゃ怖いということで、3人で映画を見に行くことになったんですよ。当時僕は軟派だったからね。(笑)
 学生服にセーラー服の可愛い少年少女3人組でね、まず日比谷公園で散歩したり記念写真を可愛く撮ったりして、それから当時有楽町駅の駅前にあった「スバル座」という映画館に行ったわけです。もうタイトルは覚えていないんだけど、宇宙人が地球に攻めてくるというSF映画で、宇宙人が地球に爆弾を落とすというその瞬間に、ものすごいボンという音がしたんです。そしたらスクリーンが真っ暗になって、従業員の人は消火器持ってかけ込んでくる。常夜灯が漏電して火を吹いたらしいんだけれど、終戦当時のベニヤで出来た安っぽい映画館だから、火が瞬く間に広がって行くんですよ。もう場内大パニックでね。みんな逃げていく。その中で、友達から、さっき記念写真を撮っていたカメラをぶんどってね、映館の座席に立って一人で燃え広がる場内を撮ったんですよ。そのうち消防士の人が来て連れて行かれちゃったけど、燃え広がるスクリーンとかいろんなものを撮った。
 一緒に来ていた友達は逃げてどっか行っちゃってたからね(笑)、とりあえず撮ったこのフィルムをどうしようかなと考えたら、たまたま当時映画館の前に毎日新聞社があって、その中にサン写真新聞という新聞社があることを覚えていてね、そこに持ち込んだんです。学生服のままで編集部に行って、「すいません、そこのスバル座の火事を撮ったので」といって持ち込んだら、「おう坊や、そこに名前と住所書いて」とか言われてね、簡単に帰されちゃった。ところが、翌日駅の売店でサン写真新聞買ってみると、1面から3面まで全部僕の写真なんですよ。「町の報道写真家大活躍」っていう見出しでね。賞金が、当時のお金で1万円だったかな。

編:藤井先生は、そのころやはり写真に興味を持たれていたんですか?

藤:いや、そんなことはなくて、その頃、お袋はおれを医者にするつもりだったらしいし、僕も実はカメラ持ってなかったくらいだから、全然その気はなかったんですよ。ところが学校中で有名になっちゃった。風邪で休めば「あいつはまた火事撮りに行ってる」とか言われたりして、学校中で写真の藤井と言うことになってしまった。じゃあしかたない撮るか、ということで写真始めたんですよ。(笑)

編:それはまた、大変珍しいきっかけですね。
 今日の所はもうお時間ですので、失礼させていただきます。有り難うございました。
 来月は「助手時代の話」をおうかがいします。