TopMenu



長谷正人
早稲田大学文学部教授


[37]「人影」あるいは写真としての原爆

 広島や長崎の原爆被災状況を記録した写真のなかに、「人影」の写真があることは良く知られているだろう。例えば広島の爆心地近く、住友銀行の玄関の石段に人間の「影」が黒々と刻印されたのを捉えた写真や、長崎の要塞司令部の板塀の表面に残された、梯子と兵士の「影」が並んでいる写真などがまっさきに思い起こされる。この不気味な「影」がどのよう原因でできたのか、核兵器研究者のテッド・ポステル博士は次のように説明している(NHK広島「核・平和」プロジェクト著『原爆投下・10秒の衝撃』NHK出版、104 頁)。

 火球から発せられた莫大な量の光によって、壁は極度に高温になり、塗料が剥離して気泡をつくったり、分離したりしました。発火したりくすぶり始めたかもしれません。不運にも、その壁の前に人が立っていたのです。光は、壁の代わりにその人に当たり、命を奪ったのです。光がその人で遮られたために、壁に影が残りました。このような非常に衝撃的な現象は、広島と長崎のあらゆる写真のなかに見ることができます。

 この説明からも分かるように、こうした写真は、原爆の圧倒的な威力を示すものとして紹介されてきた。確かに「人影」は、原爆閃光の熱の凄まじさ( 壁が「発火してくすぶり始める」ほどの)や、その高熱光線によって殺されてしまった人間たちの悲惨さを私たちにストレートに教えてくれるだろう。ところが私は、これらの写真を見るとき、原爆の威力に恐怖するより前に、なぜか心の中で「これは写真だ! 」と小さく叫んでしまうのである。間違えないでほしい。私はこの記録写真のことを「写真」と言っているのではない( そんなのは当たり前のことだ)。そうではなく私には、この「人影」自体が「写真」のように思えてしまうのである。そして同時に私は、それが写真であるという事実に( 原爆の破壊力以上の)恐怖や戦慄さえ感じてしまう。それはどういうことか。なぜこの「人影」は写真であり、なぜ私はそのことに戦慄してしまうのか。
 まず、「人影」が一種の写真であることを確認しておく必要があるだろう。既にこれまでにも論じてきたように、写真とはそもそも対象物の「視覚的」な反映であるより前に、対象物の光が残した物理的痕跡という意味で「触覚的」なものであったはずだ。だから原爆閃「光」の物理的「痕跡」として残された「人影」も、「視覚的」にはともかく( 確かにその人物の容貌は分からない) 、「触覚的」な意味では写真と言って良いだろう。だからそれを見た者は、バルト的とも言うべき触覚的事実を感じとらざるを得ない。原爆炸裂の瞬間ある人物が間違いなくそこにいた(「それはかってあった」)のだ、と。
 とすれば、原爆自体が一種の写真撮影だったということになりはしないか。原爆炸裂の瞬間、閃光が放射状に広島中を走り抜け、そこら中で人間や橋の欄干やヤツデの葉などの「影」が背後の事物に写真として焼き付けられた。だから、そのとき広島という都市全体が、細部にいたるまで写真として捉えられたのだ、と。( 実際に被災者たちの証言でも、原爆=ピカはしばしば「写真のマグネシウム」に譬えられるだろう。たとえば前掲書の90-91頁を参照) 。むろんそれは、ただの写真ではない。人間たちにとっては、自分たちの「影」をまるで「遺影」のように事物に刻印したうえで、代わりに彼ら自身を抹殺してしまう「死の写真」だったのだから( 「光は・・・その人に当たり、命を奪ったのです」) 。多くの人々の命を奪いとり、その「影」だけを後に残す写真・・・。まるで写真黎明期の人々が、写真に撮られると魂を奪われると信じた、あの迷信が集団的に実現されてしまったかのような恐るべき写真だ。
 しかし、私が「人影」に感じる戦慄は、ただ単に、こうした死の写真としての原爆に反応したものではない( それはそれで充分恐ろしいのだが)。では何に戦慄するというのか。私にとって「死」や「破壊力」よりもっと怖いのは、「人影」が暗示している、人間への無関心さである。原爆の光は人間を標的として攻撃したというより、そもそも人間の存在に無関心なのではないか。どうしてもそう感じられて、私は恐怖するのだ。どういうことか。「人影」は確かに写真だが、いっさい人間が関与していない「純粋写真」とでも呼ぶべきものだろう。誰かがカメラを構えたりシャッターを押したりしたのではなく、閃光の影が自動的に事物の上に刻印されてできたものにすぎない。だからその刻印=撮影自体には、人間の意志はいっさい働いていない。確かに撮影された対象に人間は含まれているのだが、その当人でさえ知らないうちに無理やり撮影されただけなのだから、彼(女)もまたこの写真形成に意図的に関与したとは言えないだろう。だから「人影」は人間の痕跡でありながら、そこには人間の臭いが全く感じられないのだ。あるとき閃光が自然法則に則って進行し、目の前にあるビルや壁や樹木にぶち当たり、背後に影を作った。そのぶち当たった事物のなかに偶然、人間が混じっていた( 「不運にも、・・・人が立っていたのです」) 。それだけのことだ。人間は、壁や梯子や虫けらと全く同じくただの卑小な存在としてそこにいたにすぎない。光にとってはそれが死のうが生きようがどうでも良いことだ。・・・私にはどうしてもそう感じられてしまう。だから私は「人影」を見て、何とも言えない底無しの恐怖に陥り、戦慄するしかないのだ。そこに「死」が刻印されているからではない。そもそも人間の「生」に対して自然が絶対的に無関心であることを感じて、私はそこでなすすべもなく立ち尽くすしかないのである。
 むろん、これは常識的な意味での原爆批判を転倒させてしまう考え方かもしれない。原爆は普通、人間自身が作りだした最悪の破壊的兵器として恐怖され、批判されてきた。原爆は、人間の悪魔的理性が、自分たちを絶滅させるような兵器を作りだしてしまった悲劇のシンボルなのだと。だが、そうだろうか。ここで恐ろしいのは本当に「人間」なのだろうか。私は違うと思う。原爆が示しているのは、あくまで「自然」の端的な恐ろしさなのだ。そもそも原爆は自然の中に潜在していた「原子」の力を発揮させたものにすぎないことを思い起こそう。決して人間がそうした破壊的エネルギーを無から作りだしたわけではない。人間が果たしたのは、せいぜい、その力を自然から引き出す産婆の役にすぎないはずだ。従ってつまり、原爆が示しているのは、自然の持つ潜在的エネルギーの恐ろしさなのだ。人間の理性になど関係なく、世界を破壊しつくす力をあらかじめ持っている自然の・・・。
 だから自然や地球を大切にしましょうなどという安直なエコロジー標語を私は嘲笑するしかない。自然を大切にする? たとえ現在の地球生態系が、公害や原爆の力によって破壊し尽くされたとしても、そんなことは自然自体にとっては何でもないことのはずだ。いやそれどころか、たとえ人類が絶滅させられ地球が破壊されてしまったとしても、宇宙という自然全体はビクともしないだろう。自然や宇宙自体は微細な変化を受けつつも、つねに端的に存在し続ける。つまり自然を破壊し、生態系を破壊して困るのはたかだか人類( やせいぜい他の生物たち)にすぎないのだ。人類の生存にとって困るからこそ、私たちは生態系を破壊してはいけないのであって( むろん、それは重要なことだが)、決して自然にとってではないだろう。自然は、人間などという卑小な存在に「大切に」されなければならないような柔わなものでは決してない。つまり原爆がかいま見せてくれるのは、そうした自然の圧倒的な大きさと、それを前にした人間の卑小さなのだ。(実際、被災直後の広島の人々は、人間的な意志や感情など失ってしまい、「蟻の行列のように」歩くばかりだったと言う。行列の先頭の者が歩きにくい路に入ってしまっても、それに続く者は全員その後をぞろぞろ続いて行ってしまったというのだ。『ヒロシマ日記』の蜂谷道彦はそれを次のように説明している。「大いなる力の前には人間ほど弱い者はない。ピカの一閃に強い者も弱い者もなくなってしまった。皆一様に精根をぬかれて黙々と郊外へ歩いた」と・・・)

 写真もまた同じだ。どんな写真にも潜在的には人間への絶対的無関心という問題が孕まれている。たとえ人間が意図的に撮影したものであったとしても、カメラという機械はつねに、人間もビルも虫けらも土も樹木も、全ての事物を平等に「光線的存在」として捉えているにすぎないのだから。だから全ての写真はどこかで、原爆のように人間を卑小な存在として扱ってしまっているのだ。カメラはあるとき、様々な事物が発する光の進行運動をせき止めたにすぎない。その光の主が人間であろうがヤツデの葉であろうがどうでも良いことだ。ただ写真を撮ったり見たりする人間が、何とかそれを人間的なものとして誤魔化し、巧みに取り繕っているだけのことだ。たとえば友人が撮った、砂浜で遊ぶ家族たちのスナップ写真を眺めたとする。確かにそれは、人間的な愛情に満ちた写真ではあるだろう。私ももちろん眺めて微笑んだりする。しかしその写真をもう一度冷静に隅々まで良く見てみよう。そうするとそこでは、砂も波も草も空き缶も、あらゆる事物が「光線的存在」として平等に捉えられている事が分かるだろう(それらを分けるのは、グラデーションの違いにすぎない)。写真のなかでは、恋人とそうした卑小な事物との間には何の違いもないのだ。
 最後に、「人影」の写真にもう一度戻ることにしよう。「人影」を、直接にではなく「写真」を通して見るとき、実は私はほんの少しだけ安心できる。それは原爆の悲惨さを訴えるためにカメラマンが撮影して、被災記録写真集に収録したものなのだから。だからその意味では、この写真にはかろうじて人間的な臭いが残されている。だから私は、このような原爆を作り、投下した者たちへの人間的な怒りも感じることができる。確かにそれはとても大事なことだ(政治的には)。しかし、それとともに私たちは、広島平和記念資料館を訪れて、直に「人影」の残された壁を見るべきだろう。そのとき私たちは、原爆の、写真の、そしてこの世界に生きていることの本当の恐ろしさに、少しだけ触れることができるのである。