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長谷正人
千葉大学文学部社会学・映像文化論


[30]早撮り、ナカヌキ、そして機械的リズム

 マキノ雅広が、「早撮り」を得意とする監督であったことは良く知られているだろう。撮影直前のアクシデントによってある作品の製作が不可能になったときでも、彼は予定封切り日までの僅かの日数の間にあっという間に別の新しい作品を作り上げてしまうことで有名だった。マキノ自身の証言によれば、だとえば片岡千恵蔵が病気になってロケが不可能になったために、急遽企画を全く変更して作ることにしたオペレッタ時代劇『鴛鴦歌合戦』(1935)を、彼は出来合いのセットを使うなどして時間を省略し、シナリオと曲作りと音楽構成に2日、撮影に9日というわすか10日余りの日数で仕上げてしまったと言うし(「日本の音楽映画を語る」『新映画』昭和15年3月号→『シネティック』第2号、洋々杜、206頁に再録)、やはり古川緑波が急病のために代わりに急遽作ることになった推理時代劇『昨日消えた男』(1940)の700カット余りを、彼はわずか9日間で撮ってしまったと言う(『映画渡世・地の巻』ちくま文庫、69頁)いやそれどころか、『鴛鴦道中』(1938)に至っては企画変更から僅か4日、撮影はたったの28時間で作ってしまったと言うのだから驚きだ(『映画渡世・天の巻』ちくま文庫、428頁)。
 しかも何より驚くべきなのは、これらの作品はいずれも、けっして即興的な演出によって拙速かつ安直に撮ることが可能なような作品ではなかったと言うことだろう。何しろ『鴛鴦歌合戦』の場合はミュージカル映画なのだから、オリジナル楽曲をシナリすと共にまず作って録音し、次にそれにきちんとシンクロするように厳密なタイミングで役者に演技させて撮影し、最後にそれを正確に編集しなければならなかったわけだし、『昨日消えた男』の場合でも、主演の長谷川一夫の顔の傷痕が分からないようなポジションに正確にカメラを置くために(そして照明もそのように当てるために)、マキノは全てのカットの絵コンテを予めキチンと書いた上でその通りに撮影したと言うのだ。つまりいずれにせよマキノのこうした「早撮り」作品は、計画した映像設計通りに厳密に撮影しなければならない作品だったのであって、あわてて拙速に撮ることなど許されなかったはずなのである。そうした緻密なカット割りによって構成された作品を僅か10日ばかりで撮り終えて、しかもいずれも日本の映画史上に残る傑作と言われるような作品に仕上げてしまったと言うのだから、やはりマキノの「天才」ぶりには舌を巻くしかあるまい。
 しかしだからと言って、このマキノの見事な「早撮り」ぶりを、単に彼の才能の問題だけで片づけてしまってはならないだろう。そこにはやはり、「早撮り」を可能にするような合理的な撮影方法の問題も確かにあったのだ。だから事実、マキノのような映画的才能など持たない監督であっても、その撮影方法さえ使えば早撮りは可能だった(たとえば渡辺邦男が有名)。その最影方法こそが「ナカヌキ(中抜き)」である。それはつまり、「キャメラや照明やセットの位置を動かさずに撮れるカットばかりをまとめて撮」(『映画渡世・地の巻』、63頁)ってしまう方法であり、シナリオの順序など無視してカット1→5→12などという無茶苦茶な順番で「中」を飛ばして撮るので、「ナカヌキ」と呼ばれたのだ。実は山中貞雄もまたマキノと同様、この「ナカヌキ」による「早撮り」を得意としていたらしい。『河内山宗俊』(1936)の撮影現場を見学した評論家の滝沢一は、山中の「早撮り」ぶりを次のように報告している(「山中貞雄の映画史的軌跡」『山中貞雄作品集』第三巻解説→千葉伸夫編『監督 山中貞雄』実業之日本社所収、1045頁)。

 撮影は最初、通り庭の最後方にカメラを据え、ロングショットから、セミ・ロング、フウル、バストと中ヌキで掘り進めてゆく。絶対にアクションやセリフのつづきでカメラが寄ったたり、カメラを切り換えすということはしなかった。ライトの移動の手間が省けて、およそこれ程能率的な撮影方法はないであろう。時には午前と午後で、カメラはそのままでシーンだけを飛ばして撮ることもやっていた。さすがの前進座の連中も、自分の演技やセリフが、どの場面にどのようにつながるのか見当がつかず、余程面喰らっている風であった。

 しかし、この「ナカヌキ」という撮影方法は、滝沢の言うように本当に時間と労力の「能率」化のためだけに行われたのだろうか。確かに先のマキノの場合のように、アクシデントのため撮影日数が僅かしかなかったときに、この方法を使って効率良く撮影を済ませることができたということは確かだろう。だが撮影日数をとりわけ切り詰める必要もなかった『河内山宗俊』の山中貞雄は、なぜ前進座の役者たちが「面喰らっ」てしまい、感情移入した演技もできないようなベルトコンベアー式とも言える機械的方法で、わざわざ撮影する必要があったのだろうか。あるいは予定通り製作が進行している場合のマキノも、なぜこのような、役者が自分の演技している場面がどこだか理解できなくなってしまうような粗雑な撮影方法をわざわざ選択したのだろうか。それはたんに、彼らが会社側の粗製濫造的な経営方針に忠実で、芸術性や作家性などに全く無頓着に能率的な映画作りを行っていたことを物語るエピソードにすぎないのだろうが。いや、そんなことはあるまい。そこには時間的な「効率性」以外にも、彼らの映画作品の美学的問題に係わるような、もっと本質的な理由があったはずである。
 それが恐らく、先月論じた山中貞雄におけるモンタージュの機械的なリズム(=韻律性)の問題なのだ。マキノにせよ山中にせよ、「ナカヌキ」で録られた彼らの作品にあっては、画面編集のリズムが実にたんたんとしている事が魅力となっているだろう(山中に対してある観客の言った「時計のような冷たさ」という感想を思い出せ)。とりわけそれは、物語内容において叙情的に盛り上がるような場面において際だっている。つまりそうした心理的な叙情性を持った場面であっても、彼らはあえてその叙情性を鋭利に断ち切ってしまうかのように、それまでと同じような短いショットを機械的に次々と転換させるばかりだからだ。間違っても彼らはそこで、観客の心情に強く訴えかけるような印象的なショット(たとえば主人公が苦悶する顔の長いクローズアップ)を挿入しようとはしない。
 たとえば、先月取り上げた山中貞雄の『丹下左膳余話・百万両の壷』(1935)の安吉少年の家出の場面をもう一度思い出してみよう。それまでの喜劇的で幸福な日常生活に一瞬亀裂が走るかのような、この悲哀な心情に満ちた場面において、山中はしかしそれまでと同じアングルで同じサイズで捉えられた同じ矢場のショットを、同じ機械的リズムでたんたんと組み立てて行くばかりだろう。だからこの家出場面のショットは、映像的には、それまでの喜劇的場面とは違う特別な叙情性や心理的な盛り上がりが込められているようには見えない。つまり山中は恐らく、この感動的な場面の一連のショットを、「ナカアキ」を使って、それ以前の喜劇的な日常場面と一緒くたにして撮影してしまったに違いないのだ。たとえば、一人寂しく壷を抱えて家出していく安吉の姿が画面の奥深くに一瞬小さく捉えられる矢場の裏庭の美しいショットは、安吉が友人たちと楽しそうにメンコをするショットや、丹下左膳が一両を持って行ったり来たりするショットや、安吉が小判を盗まれるショットと全く同じショットのなのだから、続けざまに撮影されたに違いない。だからいかに叙情的な意味を担ったショットであっても、山中にあっては、それは撮影と編集によって機械的に組み立てられるべき映画全体の中の一コマでしかないのだ。しかしこうした素っ気ない機械的な映像の組み立てこそが、逆に不思議な映画的律動を持って、心理を越えた身体感覚的な(音楽的な)感動を観客にもたらす事は、すでに先月論じた通りだ。だから「ナカヌキ」という撮影方法は、決して時間的効率性のためではなく、こうした機械的リズムの効果を作りだすために、マキノや山中といった天才たちによって特権的に選ばれたに遠いないのである。
 こうして私は、最初にマキノの「早撮り」の才能に関して言った事を多少修正しなければならないだろう。私は最初、マキノ雅広はミュージカルや長谷川一夫映画のような、厳密で正確な絵コンテ作りが要求されるような作品「であっても」早く撮ってしまったところに才能が感じられると言った。しかし今見てきたように、本当は逆なのだ。マキノ作品は、厳密な絵コンテによって構成されるような機械的作品「だったから」こそ、「ナカヌキ」による「早撮り」が可能だった。だからマキノの才能に関して驚くべきなのは、緻密な能率的撮影(早撮り)をしてしまったという点にあるのではない。そうではなく、私たちが驚くべきなのは、マキノが一本の映画の全体的な映像的組み立てを、あっという間に数学的な厳密さでもって構成してしまったという事である。つまりマキノにあってはどうやら、ある映画作品の物語の流れや登場人物の性格などについてアイデアを膨らましていく事は、そのままショットの厳密な組み立てを想像することであるらしいのだ。そうでなければ、企画から数日の間に、撮影のための緻密な絵コンテを作り上げることは不可能だったろう。そしてこれこそが、マキノが『鴛鴦歌合戦』や『昨日消えた男』を「早撮り」できた秘密だったと言えよう。しかも私には、こうした緻密な映像設計から生み出される機械的リズムの素っ気ない美しさは、たとえば黒澤明が時間と金を借しまずに作り上げた迫力ある映像美学の濃密さ以上に、映画にとって貴重な何かだと思えるのである。