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長谷正人
千葉大学文学部社会学・映像文化論


[5]単調な灰色の世界

 写真と映画という二つの形態の映像はそれぞれ、人類がかつて経験したことのなかったような迫真のリアリティを私たちにもたらしたと言われる。たとえばリュミエール兄弟の世界最初の映画上映(1895年)の中にあった「列車の到着」という作品を見た観客は、こちら側に向かって突進してくる列車の映像を見てそれが「現実」であるかのように錯覚し、悲鳴をあげて逃げまどったと、誠しやかに伝えられている。つまり、こうした映像史観においては、映像とは現実そっくりのイメージを私たちに与えるテクノロジーだということになる。だがことはそう単純ではない。映画を「現実」とは全く異なるイメージとして、ある種の違和感をもってしか受容できなかったという感想を残した映画観客もまた存在するからだ。たとえばやはりロシアにおけるリュミエール映画の上映会に立ち会ったゴーリキーは次のような証言を残している(J.Leyda. Kino. Prinston U.P.(1983)p.407より引用)。

 夕べ私は、影の王国にいた。
 そこにいることがどれほど奇妙なことか、あなたが知っていてさえくれたらと思う。
 それは、音もなく色もない世界だ。そこにあるもの全て一一大地も木々も人々も水も大気も一一が単調な灰色の世界に飲み込まれてしまっている。灰色の空を横切る太陽の灰色の光線、灰色の顔の中の灰色の眼、そして木々の葉は灰色に色づいている。(中略)人々の灰色のシルエット、それはあたかも永遠の沈黙を宣告され、全ての色を奪われるという罰を受けた人々が、灰色の地面の上を音もなく滑っているかのようだ。

 ゴーリキーにとって、音もなく色もない映画のイメージ世界は、「現実」などとは程遠い世界だったことが良くわかるだろう。ここではむしろ、大地や木々や人々や水や大気がびっしりと隙間なく埋め尽くされた「単調な灰色の世界」として、つまり現実とは似ても似つかぬ世界として映画は受容されている。そしてそれは「写真」においても同様であろう。写真もまた音もなく色もない「単調な灰色の世界」なのだから。しかもここには映画のような「動き」さえない。だから写真もまた、いつも私たちが経験している「現実」とは全く異なった別世界のイメージとして当時の人々に受け入れられたはずである。
 たとえば、19世世紀後半にパリで写真館を経営していたナダールは、自分の肖像写真に対して客たちが示す興味深いエピソードをいろいろと紹介してくれている(「ナダールー一一私は写真家である」(1990)筑摩書房)。ある客は、他人の写真を自分のものとは間違えてその出来に満足しているかと思えば、別の客は「自分が見てもわからないのに、私だとわかるだろうか、赤の他人が・・・」とつぶやいていたと言うのだ。驚くべきことに彼らはいずれも、写真に写された自分の「顔」を自分として識別することができていない。つまり、写真による自分の「顔」は、現実生活のなかで私たちが鏡を通して見慣れているはずの「顔」とは全く違った、別の現実イメージとしてしか受容され得なかったのである。肖像写真は、何か見慣れない奇妙なイメージとして人々のなかに普及していったわけだ。
 そして私たちは、こうした観点に立ってはじめて、1850年代の西欧におけるステレオスコープの隆盛を説明できるように思われる。ステレオスコープとは、ほんの僅かにずれた同じ映像の二枚の写真を、望遠鏡のような装置を通して両眼で覗くと映像が浮き上がって立体的に見えてくる玩具であり、ロンドンスチレオスコピック会社だけでも2年間(1854-56)で50万台を売り上げるほどの爆発的人気商品だったと言われる(J.Crary, Technics of the observer, MIT Press(1990)p.118)。この爆発的人気は一見奇妙である。もし写真自体に迫真のリアリティを 感じていたならば、わざわざそれを立体化して見る必要もないからである。つまり、当時の人々はびっしりと灰色の事物に埋め尽くされた写真映像にある種の違和感を感じていたからこそ、一つ一つの事物が浮き上がることで自分にとってより親しげな視覚世界として見えてくる「立体写真」の方を好んだと考える方が自然である。ステレオスコープとは何よりも、写真の持つ非=現実性を隠蔽する装置として人々に愛されたと考えることができるのだ。従って写真という映像をリアリティを持った映像として受け入れたというのはやはり眉唾と言うしかあるまい。
 映画に関しても同様である。「単調な灰色の世界」に違和感を感じた映画創世記の人々は、映画を「色」つき(ときには「音」つき)で上映していた。まず「色」に関して言えば、映画会社は現像されたフィルムの一コマ一コマに全て手作業で色を塗っていたのだし、上映に音をシンクロさせる試みは初めから様々な形で行われていた(技術的には困難だったが)。これらの工夫はいずれも、映面を少しでも観客にとってリアリティのある視覚世界にするために行われたのだと言えよう。ということは逆に言えば、映画それ自体に対してもやはり人々はリアリティを感じなかったということに他なるまい。映画はやはり一般的に、ゴーリキーの言うような「単調な灰色の世界」として受け入れられたと考えた方が良さそうだ。「列車の到着」に逃げ出した人々もまたけっして、イメージと現実を錯覚したわけではない。彼らは列車の動きそれ自体に神経を刺激されたにすぎない(私たちがヴァーチャル・リアリティを体験するのと同様に)。
 こうして映像テクノロジーの歴史は、この「単調な灰色の世界」としての映像をどのようにして人間にとって親しげな世界に改造するかという歴史として進行して行くことになる。映像に色を付けること、音をつけること、立体化すること、等々。しかし、それらはしょせん、映像の不気味さを小手先で隠蔽することにすぎない。映像の本質はあくまで、カメラが現実を光の痕跡として定着させたことにある。その世界は「人間の眼」には見ることができない奇妙な世界なのだ。