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12月28日 東京−石垣島−与那国島

 出掛けに、問い合わせ中だった米国のソフトハウスから回答メールが届いていた。あわてて無い知恵を絞って、ほとんどナンチャテ英文状態の返事を書く。ほとんど単語を並べただけだが、お互い気合いでコミニュケーションをとっている。先方は頭痛がっているかも知れないが。
 余計な時間を使ってしまい、新宿の自宅を出られたのは5:30だった。
 急ぎ足で靖国通りへ出、タクシーを捕まえ、急いで空港へと告げた。
 この時間のタクシーは結構危ない。居眠りしないように話をしながら空港へと急いでもらう。
 さすがに道はがらがらに空いていて、6時前には空港の手荷物預けカウンターの長い列にくわわることができた。
 JTAの石垣島直行便は、定刻を25分遅れて6:55に離陸。石垣空港までの所用時間は3時間と5分。ひたすら耐えるしかない。
 この文章は機内で書いている。ちょうど今、慶良間諸島の上空を通過中とのアナウンスがあったところだ。
 機内誌は隅々まで読んでしまったし、音楽は装置が故障してしまったらしく、1時間くらい前から聞こえなくなっている。新聞は2紙も読んだ。文庫本を荷物から出してこなかったことを後悔することしきり。何かやっていないと余計緊張して疲れてしまう。とほほ。
 結局10時に石垣空港到着。
 かなり下手かも、と思える着陸は(タッチアンドゴーになるかと思ったくらいなかなか降りず、ブレーキ力も過去最強だった)、タラップを降りて湿った空気に触れた瞬間に理解した。
 強風である。
 与那国島への便が今年の夏からジェット化されていたことに感謝。
 乗り継ぎの際に、また手荷物検査を受けたのだが、羽田では何事もなかったのに、石垣空港ではゲートをくぐったらブザーが鳴ってしまった。鍵と財布に反応したようだ。先日のハイジャック犯人の言うように、羽田はチェックが甘いのかも知れない。
 甘いと言えば、私の機内持ち込みのポーチの中には2本のナイフが入っていたのたが(預けの荷物に移し忘れたもの)、誰も指摘する人はいなかった。忙しい時はそんなものか。
 石垣空港ではPHSが利用できる。
 現在10:15。アップロードします。
 の、はずださったのだが、時間切れでアップロード出来ず。
 与那国島行きは、羽田から乗ってきた機体そのものだった。
 駐機場を歩いて乗り込み、ほぼ定刻に離陸した。


石垣空港は徒歩っとな

 与那国島には11時過ぎ到着。上空から見て、滑走路を延長した形跡が全くないなぁ、と思っていたら、石垣島の時以上のフルブレーキング!! 座席の下の荷物はおろか、上の棚の荷物までもが前方へ持っていかれて音をたてた。
 ふと気がついたのだが、飛行機の到着時の機内音楽がなくなっていた。JTAは、一昨年までは沖縄ソングを、去年は普通の音楽を到着時に機内放送していた。今年はそれが聞かれなかった。沖縄ソングの復活を望む。
 空港で荷物を受け取り、レンタカーの手続きをし(4年目にして、初めて空港にレンタカー屋の迎えがきた。徒歩2分だからどちらでもいいけど)、空港内でそばを食す。
 空港は、ジェット化に伴う乗客の増大で以前より活気があった。しかし、一日一便になってしまったので(以前はYS-11が午前と午後に一便づつだった)、瞬間的な人の動きとなり、お店は全て瞬間的な営業しかしない。
 ジェット化に伴って欠航が減ったのはいいのだが、一日一便化には不満の声が多く聞かれた。もっとも大きな欠点は、羽田発以外では一日で与那国島まで辿り着けないことだ。関空や名古屋空港から始発に乗っても石垣島で与那国行きに接続しないのだ。なんとかして欲しいものである。
 島のあちこちに張られた2000年イベントのポスターが気になって役場へ行ってみた。この年末はイベントはないと思っていたのだが、それは誤解だったのだ。昨年入っていたイベント会社がクビになっただけで、島独自で大きなイベントが企画されていたのだ。それは、31日のお昼頃から、新しい年の幕開きまで続く。場所は中学校のグランドに作られた特設ステージ。これは期待せざるを得ない。楽しみ楽しみ。
 天候は曇り。それでも気温は低くない。
 空港で海底遺跡ポイントへのグラスボートの案内を見つけた。昨年までは某ホテル関係でやっていたものが、今は独立した業者になっているらしい。電話すると、午後2時のは波風の影響で出すかどうか判らないと言う。後で連絡する約束をして電話を切った。
 とにかく、ぐるりと巡ってみることにする。どうせ暇なのだ。
 島内ではあちこち道路工事が進んでいて、様子が違うところがいくつもあった。
 比川の集落でゲリラキャンプを試みているテントを3張発見。島内はキャンプ禁止ということになっているのだが(こういうのって、法的根拠があるのだろうか?)、そこは黙認されているようだ。
 残念ながらテントには誰もいなかった。
 沼にはペリカンがいた。


異様行為は言い過ぎだと思うが

 祖内の港で原付に乗るバックパッカーと話をすると、彼はゲリラキャンパーのうちのひとりだという。そして驚いたことに、そこには今年の1月に黒島で会い、その後希に電子メールのやりとりをしている子もテントを張っているらしいことが判った。後ほどおじゃますることにする。私の宿は比川なので好都合だ。
 遺跡ポイントへのグラスボートが出港するというので久部良の港へ行った。
 船は、しけを回避するために島を一周するコースをとって遺跡ポイントへ行くことになった。
 乗客は私の他はアベックがひと組きり。この時、まだ我々はこれから起こるとんでもないハプニングを知らない。
 揺れが予想されたので、3人とも、私の持参したトラベルミン(某豪華客船で以前大量にもらった強力な酔い止め)を飲んだ。
 船は、まともだったのは最初の数分。あとは、をいをい、な、揺れである。
 私は4級小型船舶の免許も持っているし、カヤックを川や海で漕いでいるので、多少は船と波の知識があるつもりだ。
 船は、以前小笠原で乗った漁船よりはマシだが、というレベルに揺れていた。島を一周するので、風向きや塩の流れが刻々と変化する。
 ライフジャケットがどこにも見あたらないのが気がかりだった。


まだまだ余裕?

 エンジンの付いた小型船で最も恐ろしいのが船の速度以上の早さで迫る追い波である。舵が全くきかなくなるのだ。シーカヤックにたとえると、波乗り状態に陥ると言えば判りやすいだろうか。パドルでブレース、てなわけにはいかないのだ。
 ところが。遺跡ポイント近くになって、そんな波が連発するようになった。ポイントに接近するのに向かい波では厳しい状況だったので島を一周するコースで接近したのだが、それにしても波がでかくて早すぎたのだ。
 それでも遺跡ポイントで船をほとんど静止状態にして、水中を見学した。


これがジャックも大好きと噂の遺跡ポイント。偏光フィルタを持参すべきでした

 なるほどすごい。
 それはそれでいいのだが、もっとすごいのは波の方である。船は波のブレイクするポイントのすぐ近くにいるのだ。全く気が気でない。


やばいよなぁ

 そして、それはやってきた。
 船首が岸に向いている状態で、シーカヤック的(サーフカヤック?)に言えば、波に乗ってしまったのだ。乗るというか、波のブレイクで船尾を食われたと言った方が判りやすいか?
 瞬間、大量の海水が船尾からなだれ込み(甲板自体はフラットな構造)、船を前へ押し出す。前方は岩盤である。船長はスロットルをバックに入れた。
 第2派は、さらに大量の海水が甲板を洗った。手すりにしがみつくが、下半身びしょ濡れ。瞬間、船首が持ち上がり、船尾は波に没していた。でも、以外と落ち着いていた。
 少し沖に出たところで、船長は船を帰路へ向け、操縦を私に頼んだ。
 全く、をいをい、である。もちろん、私が免許を持っていることは船長も乗客も知らない。(小型船舶は、免許を持った船長が乗船していれば誰が操縦してもよいことになっている)
 一応4級船舶持ってます、と言って、操舵輪をにぎった。ライジャケ欲しいなぁ、とか、アドベンチャーだなぁ、とか思いながら。
 船長は船に何やら仕掛けをし、小型の電動ポンプを出してきた。グラスボートのグラス部は、バスタブのような構造になっているので、そこになみなみと海水がたまってしまっているのだ。これではスピードが出ないし、下手すりゃガラスが割れてしまう。エンジンルームの排水は平気だろうかと気になった。


海水の溜まったグラス部分。揺れが激しくてこれが精一杯。我ながらよく撮る世な

 アベックの乗客が協力しあって排水ポンプをセットした。
 船長と私は、その後も数回操縦を交代した。私の操縦では複雑な波がきたらアウトだった。(蛇輪の切れ角だって判らないのだ)
 でも、なんとか無事に帰ってこられた。実に、予定時間の2倍以上、2時間半が経過していた。(燃料が沢山入っていて助かった)
 岸に上がって船長いわく、
「お疲れさまでした」
 気力は萎える。
 過去、こういう事態になったことはないそうだ。何事も、経験か、と、笑っていられる今夜がいいね。
 ちなみに、このアドベンチャーの費用はひとり5,000円である。出発時にサービスで出された缶ジュースは全て波にさらわれた。持参したポーチを食らう前に手すりにくくり付けた判断には、我ながら喝采を送りたい。

 ほとほと疲れ果て、空腹を抱えて島内の散策を再会。
 しかし覇気がない。
 黒島で会った子らしいテントに携帯の番号を書いたメモを残し、食事へ行く。比川には食堂はないので祖内へ行った。
 テントに残したメモが効力を発揮し、電話があった。島内はどこでもDoCoMoが使えて便利だ。
 やはり、黒島で会った子だった。
 食事の後、売店で差し入れを買ってテントサイトへ。
 私の泊まる民宿から徒歩3分だ。
 3人で2時間くらい話をし、宿に戻ってシャワーを浴び、原稿を書いた。もちろん、アルコールの摂取は忘れない。
 長い一日の終わり。
 では、お休みなさい。
 明日までにジーンズが乾く望みは薄いな。