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7月2日 加計呂麻島
5時起床、6時スタート。
走るなら、朝の涼しい時間帯に限る。
とにかく北上することにする。
適度なアップダウンのコースを、いくつも集落を通過しながら進む。
途中の峠で、またまたクワガタを発見した。路上にいたのだが、ただし、お腹がない。脚は前足2本を残すのみだった。アリが大量に群がっている。しかし、そのクワガタは生きていたのだ。そしてそれは、発見から24時間以上たった今も生きている。(採取したのです)
なんという生命力!
木慈という集落で休憩をとる際、偶然廃校をみつけた。
林の中にひっそりと建っている。昭和57の廃校。その昔、記念植樹された校庭のガジュマルの木は力強く育っていたし、どういう訳か校長室に置きっ放しになっていた足踏み式のオルガンは、懐かしい音色を響かせた。
薩川から先、道は二手に別れている。右へ行けば、3kmで芝へ、左へ行けば4.5km実久へ通じる。どちらも島の北の果てだ。
道が平坦そうな、右の道を選んだ。
海岸沿いの道は、やがて山へ入って行く。
芝へ着いても、まだ9時頃だった。
曇空から日が差し、気温がぐんぐん上昇する。
小さな漁港の小屋の日陰に陣取り、食事を作って食べた。朝早かったし、あまり食べていなかったのだ。
網の補修をしていた70歳くらいの漁師と30分くらい話をした。7割は言葉が通じたと思う。興味深い話だったのだが、割愛する。
暑いので、ここで夕方まで停滞することにした。港の防波堤から海を眺めると、珊瑚礁と、それに群がる魚がよく見えた。ここの透明度はすこぶるいい。
漁港脇の浜を上から眺めていたら、ハリセンボン発見。15cmくらいの小型のやつだが、食べるとうまいという噂は前から聞いている。荷物を置いた小屋まで戻り、コンタクトレンズを入れ海パンに着替えて浜にもどると、もうヤツはいなかった。
海の中を探しまわる。
苦手だったシュノーケルにも慣れ、かなり自由に泳ぎまわれるようになった。
珊瑚礁ではないのでカラフルな魚の種類は少ないが、学校のプールより透明度高いんじゃないか、と思わせる水中は気持ちいい。
少し沖へ行くと、急に深くなっていて、そこにさしかかったら、視界いっぱいの数のヒラアジの群がやってきた。
拾ってきた破れた玉網では捕まえられなかったが、大きさと数に圧倒されて、ちょっと恐かった。
浅瀬に戻ると、ヤツがいた。
追いかけると逃げるのだが、しばらく行くと振り返って止まる。目が合うと無茶苦茶可愛い。
試しに石を投げてみたのだが、ふくらまなかった。
数々の攻防の末、結局捕まえることはできなかった。
夢中で潜っていて、上がったら、もう12時を過ぎていた。
腹が減ったので食事の準備をし、13時頃から食べた。
その後は14時すぎまでガジュマルの木陰で昼寝。
ああ極楽。
小さなスコールをやり過ごし、15:20に出発した。
薩川まで戻り(途中、路上に死んではいたけどメスのクワガタを発見、採取)、こんどは左のルート、実久を目指す。素晴らしい海水浴場があるらしいのだ。
キツイ登りに耐え、小さなスコールを木陰でやりすごし、ようやく実久の海岸に着いたのは17時過ぎだった。
バス停脇の広い屋根の下に自転車を運び上げると、雷を伴ったものすごいスコールがやってきた。
雨宿りをしていたオッチャンが話しかけてきて、この場所の解説と、シャワーや商店の場所を教えてくれた。
ここは、今は誰もいないが、長期滞在のキャンパーであふれるのだそうだ。
雨は15分くらいで上がり、虹が出た。
ビールを片手に、堤防へ行ってみる。
素晴らしい透明度で、珊瑚礁に群がる魚たちがよく見える。
さっきのオッチャンがやってきて、タコかイカはいないか、と、探しはじめた。手にはリールと、それにはイカ用のルアーが付いていた。(そういえば、芝で会った漁師が午後に一個くれると言ったのだが、結局貰えなかった。飯を食いに家に帰ったのだが、網の修理に戻って来ても手ぶらだった)
私が美しいイカを発見し、オッチャンがルアーを投げた。イカがルアーを追う所がよく見える。
小さいので、結局釣り上げることはやめにした。
まだまだ明るいので、海に入ることにした。
浜からエントリーすると、もう死んでいるみたいだけど、テーブル珊瑚や枝珊瑚の上へすぐ行けて、熱帯魚三昧である。
そこで、またまたハリセンボン発見。
今度はデカイ。50cmくらいありそうだ。(水中では大きく見えてしまうものだけど)
追いまくったけど、結局見失ってしまった。後で聞いたのだが、棒でつつくだで簡単に捕獲できるのだそうだ。今度からは、棒を持って潜ることにしよう。
結局陽が山陰に落ちた19時近くまで潜り、シャワーを浴びて洗濯をした。
背中が痛い。
透明度の高さを忘れていた。泳ぎながら焼かれていたのだ。上着を着たままにしないといけなかった。
またビールを飲んでいると、オッチャンが黒糖焼酎と魚のあげもの、ゴーヤーチャンプルーを持って現れた。
遠慮なくいただく。
途中でひとりくわわり、宴会に。
最終的には、人の入れ変わりはあったけど、23時頃まで飲んだくれていたのでありました。
夜は、風通しがよく、ぐっすり眠れましたとさ。
木慈の廃校。戦前は訓練校になっていたという情報も