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佐伯格五郎
(JCIIフオトサロン・キユレーター・日本カメラ博物館運営員)
第5回
ライカのラッキーナンバー(2)
前回はライカのラッキーナンバーとその贈られた方々を紹介したが、今回はその戦後版。
1945年ライカIIIC型ボディー番号400,000は1940年ライカIIIbの350,000号を贈られたウイルヘルム・シュナイダー博士に再び贈っている。これは350,000号が損耗した代わりと記録にある。
1948年ライカIIIC型ボディー番号450,000はドイツ・ユースホステル事業創始者のリッヒャード・シュールマン博士に贈られた。
1950年ライカの記念すべきボディー番号500,000号は、ライカIIICで達成したがこのボディーはエルンスト・ライツII世に贈られている。
ちょっと変わった贈り物としては1951年ライカIIIf型、ボディー番号555,555が金メッキされてチベットのダライ・ラマに贈呈されている。
1952年ライカIIIf型ボディー番号600,000は、ニューヨーク在住の海洋研究家ベーベ教授に贈られている。
1953年ライカIIIfボディー番号650,000はヒマラヤ遠征隊のノーマン・ギュンター・ディーレンフルト二世教授に贈られた。
同年同じライカIIIfボディー番号666,000号はエヴェレスト初登頂のエドモンド・ヒラリー郷に贈られた。
同年ライカIIIfボディー番号675,000はオランダの位相差顕微鏡発明者のエーリッツ・ツェルニーケ教授に贈られている。ライツも顕微鏡を作っているだけに、同じような世界での発展に敬意を表しているといえそうだ。
1954年、この年の4月ケルン市のフォトキナでライカM3が初登場、従来のバルナック型ライカと違った意味で新しい時代を切り開いたといえよう。
ライカM3の特色については次回にゆずり今回はそのラッキーナンバーについて紹介する。
1954年、ライカM3ボディー番号700,000は山岳写真家、ステファン・クルッケンハウザー教授に贈られている。ライカM3の最初のナンバーである。
1955年、ライカM3型ボディー番号750,000はフランスの写真家、アンリ・カルチィエ=ブレッソン氏に贈られた。
同年、ライカM3ボディー番号800,000はドイツ首相コンラッド・アデナウアー氏に贈られた。
1956年、ライカM3型ボディー番号830,000はインドのパンディット・ネール首相に贈られた。
1957年、ライカM3型ボディー番号875,000はパリーノフィリップ・タランテー氏に贈られる。
同年、ライカM3型ボディー番号900,000はアメリカのエドウイン・ウイッシャード氏に贈呈された。
1958年、ライカM3型ボディー番号919,000はドイツのホイス大統領がイギリスを訪問したときエリザベス女王に紋章入りで贈っている。
1959年、ライカM3型ボディー番号980,000はドイツのアデナウアー首相からアメリカのアイゼンハウアー大統領へ贈られた。
1960年、ライカM3型ボディー番号1,000,000はエルンスト・ライツIII世に贈られた。そして、1,000,001はアメリカのライフ誌写真家アルフレッド・アイゼンシュタッド氏に贈られている。