フォトエッセイ

聖 地 巡 礼

山形晴美


第1回 桃色の口紅

 松戸から新京成線に乗り、2つ目の駅で降りる。駅前の通りを右に歩いて行くと、静かな住宅街が見えてくる。軽い傾斜の坂道の向こうには、人の生活を感じさせる静かな路地が幾筋かあり、その一角に彼女の家はある。この大きな家には、年老いた彼女の御両親が2人で静かに暮らしていらっしやる。寡黙だが、優しさといたわりの心がにしみ出てくるお父様と、いつまでたっても無邪気で可愛い子供の様なお母様。
 彼女は、1954年にこの家の長女として生まれ、1994年に40年の生涯を閉じた。重度の障害を持ち、わずかに動く首と、たどたどしい言語だけが残された機能だったが、それでも、家族の愛情に育まれたおおらかな人柄と豊かな感性は誰からも愛されていた。そして、人間の尊厳を決して失わない自己主張と、その強さに裏づけられた正義感を以って毅然と生きる姿は一目置かれてもいた。
 彼女はまた、詩を作ってもいた。思いついた時に、ベッドサイドで口述筆記してもらい、それを、ヘッドギアの様な機械から突き出たセンサーを舌先で触れると、キーボードが作動して入力される障害者の為に開発されたワープロを使って、一文字一文字汗をかきながら打っていた。詩集を出そうという話も仲間の間で進んでいる。
 彼女の死に立ち合う事が出来なかった私は、翌日お宅を訪ねた。丁度「納棺の儀」が行なわれており、私も旅支度を手伝わせてもらうことになった。その時に見た、彼女の顔の何と美しかったことか微かに笑みさえ浮かべていた。この時、−この人は人生を全うしたのかもしれない−と思った。薄く引かれた口紅の桃色が、今も私の心に爽やかに残っている。その優しい桃色を思い出す度に、私は勇気づけられる。人は人に支えられながら生きているということを実感する。
 7月15日の新盆、彼女に会いたくて、お宅を訪ねた。御両親と、彼女が可愛がっていたワンワン人形が迎えてくれた。「何もしないのに、時々この犬がワンワンって鳴くから、はいはいって返事をしてあげるのよ」、と言って、明るさを取り戻したお母様が、嬉しそうに笑っていた。